心地よい風が庵に吹き付け、庭にひっそりと咲いた彼岸花が揺れた。
葉のないその花は、頼りなく、それでいて毒のある事を示唆するかのような深紅。
そこに今、かさりと紅葉が散った。

“あぁ…綺麗だ”

秋は一年で一番過ごしやすい季節だと言われている。
暑さがまだ薄く残る気候はふいに冬を感じさせる風を運んでくるし、
視覚的にも華やかさはないにしろ落ち着いた美しさが満ちて、全ての生き物は活気付いたいのちに溢れている。

“食欲の秋かと思ってたけど”

縁側に座って俯くその人の手には、古びた本が置いてあった。

“読書の秋…か”

意外かと言われればまぁ、そうではないのだが。彼は風流を好む質だし。

“それにしても全く気付く気配がねぇな”

さっきから目の前に立ち尽くす俺が何だか馬鹿みたいじゃないか。

「八重葎 しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり」

「うわっ、びっくりした」
「何だい、ずっと馬鹿みたいにそこに立ちっぱなしで」
「お前が余りに本に没頭してるから話かけ辛かっただけだ…ってかそれ、百人一首なのか」
「あれ、あんたは教養とかない方だと思ってたんだけどな」
「馬鹿にすんなよ」

適当言ったら偶然当たりました、なんて言えないなぁ、なんて。
ふんわり微笑んで顔をあげた慶次の、いつもと違う部分に俺は驚いた。
嘘、慶次って。

「目ぇ悪かったのか」

黒色の落ち着いた縁取りの眼鏡が、慶次の顔の印象を変えている。
それにしても目が悪いだなんて聞いた事がなかった。

「大した事はないんだけど…ま、普通よりは悪い」

近くが見えないんだと言って手慣れた手つきで眼鏡を外して本の上に置いた。

「あっ…」
「何だい?」

すっかりいつもの顔に戻った慶次が立ち上がって俺の頬に触れる。
あの、当たり前のようにやってますが、普通は男にやりませんからね、そんな挨拶。

「…惚れた?」
「何でそうなるんだ」
「何でって…ねぇ?」

ねぇって言われても意味分かんねぇよ。
頬に触れた手を乱暴に取り払って軽く睨みつける。

「顔が赤いよ」
「…〜っ!うるせぇ」

図星だなんて誰が言うか。
半歩下がった俺に慶次はいつの間にか眼鏡をかけなおして迫り寄った。

「ど?」
「どぅでもねぇよ、暑苦しいから除け!」

満面の笑みを携えてにじり寄った慶次は両手で俺の頬を包んだ。

「孫市、秋」
「だから何だ、触んな!」
「暑苦しい…わけないよなぁ、過ごしやすい季節だ」
「季節と言うかお前が暑苦しい!」

じろり、獅子の瞳が俺を見つめる。
ほんの些細な変化だというのに無駄に心揺らされるのは、秋のせいだろうか。

「うるさいのは、あんた」
「な……っ、ん!」

反論する間もなく、俺の口は声を紡ぐ手段を奪われた。
交わされる口付けはこの上なく熱いのに、頬のあたりに無機質な冷たい感覚があって、
あぁこういう時には外していて欲しいな、何て悠長な事を思った。

「俺は静かに本を読んでいたのに、孫市が邪魔したから」
「したから何だ」
「分かってるんだろ?」

分かってますとも。
徐にに眼鏡を取ると、俺を縁側に寝かしつける。
その顔は俺の好きな笑顔。
何だ、やっぱり

「食欲の秋…か」
「分かってるねぇ」
「まぁな」

心地よい風が吹き抜けていく。
まぁ、良いだろ、何だかんだで俺達は似た者どうしだ。




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