体に膿が溜まっている。
もしくは血の塊か。
ずしり、と心臓あたりに圧迫感を感じる事がある。それは最近表れたもので、だからこそ病気なのだと思った。


「どうだ、安全道」
「どうもない」

朝早く安全道を叩き起こし、一通り調べて貰った。その返事が、この一言。
開けた服も直さず、仏頂面で去ろうとする安全道の手を掴む。強過ぎたのか、おもいっきり払われた。

「何をする」
「何をするじゃない、どこかおかしい所はなかったのか」
「ない、気持ち悪い位に健康だ。だから早く去れ」
「そんなわけない!」

俺の声に顔をしかめて耳を塞ぎながら、仕方ないといった体で振り返った。

「思い当たる節があるならそちらを頼れ。私はお前を病人とは認めない」
「だが確かにおかしいんだ」
「どういう風に」

意外な質問でもないのに、簡単に説明が出来ない。何かが溜まるような感覚。それによる弊害は、そういえば、ない。

「……体が、重い」
「重くて、何だ。苦しいのか?」
「上手く、説明が出来ない……ただ、何か朧げな像が浮かんで、そのせいかもしれん」
「何だそれは、呪いか?」

声色が完全に茶化すようなものに変わり、安全道が完全に興味を無くしたと分かった。しかし、それ以上説明しようがない。
同時に俺自身も大層な事ではないのか、と少し落ち着いた。

「于吉か」
「お前が小覇王か?ではせいぜい呪い殺されないようにしろ、そして去れ」
「ふん、それは所詮物語だ」

聞くか聞かないかで、安全道の方がその場を去っていた。




顔。

おそらく、顔だ。

確かに頭に浮かんでいるのに、例えばそれを描いてみろと言われると、出来ない。
では朧げなのかと言われていると、そうではない。まるで老人の目のように焦点が合わない。像が掴めない。
夢の中のような存在。
言葉でも説明が出来ない。髪の色や男か女か、そんな簡単なものですら言葉にしようとするとこぼれ落ちていく。
確信出来るのは、存在している、という事、そして俺はそいつを知っている、という事。
他総てが曖昧で、自分にとって良いものか悪いものか……それすらも、分からない。


「次ッ!」

言葉と同時に、小柄な若者が俺の槍に弾き飛ばされた。次に走って来たのは、大柄だが小綺麗な顔をした男。
一撃目は、単純な突き。
だが当てる気はないのか、威力は弱い。
俺が軽く避けたのを見て、殺した勢いを上乗せした槍を、足を払うように奮う。
甘い。
視線で行動が読める。
足を払うはずだった槍は俺の足の下。刹那、男の動きが止まる。
そして目が合った。

(違う)

「次!」

倒れる小綺麗な男を盾にして、色の黒い男が突きを繰り出す。渾身の力だ。
相手に見極められるような突きは、いきなり出すべきではない。
人を盾にしても然り。
渾身の力で繰り出した技は、すぐに姿勢を正せない。避けるのに多少神経を使えば、相手が引く時に隙が出来る。
ほら、今、止まった。

キンッ!

蹴り上げた槍が虚しく空気を裂いた。
色黒の男は思わず槍を見る。
素人め。

(これも違う)

「次ッ!」

今度は、頬に傷のある男。
助走をつけて跳び上がりながら、下方への薙ぎ払い。ただ振り下ろすという選択肢を選ばなかったのは良い判断だ。
着地間際、槍先を地面に刺して横へ跳び、間合いを取る。
これも良い判断。
だが、攻めあぐねているな。
俺がわざと隙を作る、が、その誘いには乗ってこない。
今度は俺が突きを繰り出す、避ける時に慌てて槍を片手で持った。
惜しいな。
だが今まででは一番筋が良い。
傷のある男の間合いに入る、片手ではもう槍は奮えない。

(やはり違う、か)

キンッ!

槍先は男のぎりぎり目の前で止めた。

「終り!」

あたりを見回せば、若者達が方々の体で疼くまっていた。
手加減は減らせてきたのだから、成長したのだろう。言いはしないが。言葉にしなくとも、成長する者は手合わせで分かる。
まだまだ見込みはあった。
だから、何も言わずに去った。

「荒い」

俺の行く方から、声が聞こえた。

「何?」
「見ていて、荒いと感じた」

史進がわざわざ俺の進路を阻んでいた。手には朱色の棒がある、今から調練のようだ。

「若僧に言われる筋合いはない」
「若僧に気付かれる位だとは捉えられないのか?」
「煩い」

分かっている。
顔が、あの顔の正体が、気になって仕方がない。
そして気付いた。これは安全道に治せる病気ではない。似た様な経験を不意に思い出した。
李富に牢に入れられた時、ひたすら考えていた事。妻と、宋江様の安否。
つまり、あの顔の事を、私は何らかの理由で気にしているのだ。

(それなのに、何故、誰だか分からないんだ!)

「……成る程」
「何がだ」
「理由がわかったから溜息をついた」
「何だと?」

史進の目は嘘をついていない。飽きれたような口ぶりが癇に障った。
一瞬目を泳がせてから、また飽きれたような口ぶりで言った。

「俺が教えても仕方ないから言わないが……いい加減気付くべきだと思う」
「だから何を」

物言いが、煩わしい。安全道も、珍しく史進までもが。ぼかした言い方など、俺は好まないと言うのに。

「気になって仕方ない相手が誰か」

乱暴にそう言って、返事を待たず史進は逃げた。
何故分かった、いや、それより俺自身の事なのに史進には分かって俺には分からないとは一体どういう事だ。

「林冲!」

何処からか、呼ぶ声が聞こえる。
しかし、回りに気配は感じられない。
と、言うより。

(この声だ……)

冷たく、感情の篭らない声。
あの顔の、声だ。

「最近は嫌がらせにも手が込んできたな」

すとん、とまるで今そこに初めて現れたかのように目の前に男が立っていた。

(これだ)

急速にぼやけた焦点が合う。

「公孫勝……」

白く色の抜けた癖のある髪、表情の動かない能面のような、だがこれと言った特徴のない顔。
見るまで思い出せない、だがはっきりと知っている存在。

「とぼけた振りをしても無駄だ。安全道をわざわざ嫌がらせの道具に使うとは良い身分だな」
「何を言っている?」

公孫勝の言う言葉は、繋がらない。
安全道、道具、そして嫌がらせ、どういう意味だ。

「安全道にわざわざ診断させて、私と居ると胸がむかつくからどうにか治せと言ったそうじゃないか。
貴様、仲間割れでもしたいのか?」
「俺は……お前の名前など出していない。ただ体が重いからと、そう言っただけだ」
「……なんだと?」

僅かに眉を動かして、滅多にしない表情変化−−これは焦りだろうか−−をした。
声も少し慌てている。

「まさか……」
「最近、どうにも雲を掴むようなはっきりしない顔がいつも頭をよぎって苛々していたんだが、ようやく正体が分かった」
「……」
「お前だ、公孫勝。お前、俺に何かしたのか?」

そう言いながら、俺は公孫勝を睨んだ。
何かを企むから人は慌てる、今回もそうだと思った。糸口があるなら見極めようとした。
しかし俺の予想と反対に、公孫勝の顔は今まで見た事のない様を見せた。
そう、赤面という、およそ似つかわしくない様を。

「鈍感もそこまで行くと、罪だ。林冲」
「何の話だ。皆、どうしてそんな曖昧な言い方しかしない!」
自然と語気が荒くなる。俺だけが一人何も知らないのがいたたまれない。
そして、公孫勝のよく分からない表情変化で、また胸に重みが増した。
「……皆?皆にこの話をしたのか」
「原因はお前だろう、公孫勝」
「……」

突然無言になった公孫勝は、何かを否定するように数度首を振って頭を抱えてから、そそくさと俺の前から去った。
何かぶつぶつ言っていたようにも見えたが、そんな事知ったものか。




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少女漫画並の林冲。ギャグです。
梁山泊メンツは基本的に林冲の意中の人を知ってます。
もういい加減くっつけよって思ってます。公孫勝は鈍感いい加減にして!って思ってます。


以下、この様子を見ていたある師弟の会話をお楽しみ下さい。私の趣味で師の方は何故かブラック入ってます。


弟:林冲殿は一体いくつなんでしょうね
師:お前より確か一回り上だね
弟:あれはもう筋金入りて言うか……公孫勝殿が哀れでなりません
師:可哀相だが私達の噂が薄れて良いじゃないか。是非散々時間をかけて引っ張って欲しいね
弟:……
師:ん、何かあるのかい?
弟:いえ、何も。……最終的には公孫勝殿が折れるんでしょうか?
師:いや案外林冲が気付くんじゃないかな。ああ見えて本来勘は鋭いから
弟:勘とかそういう話では……
師:ん、何か言ったかい?
弟:いえ、何も



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