暗闇の中、空を切って何も掴めなかった自分の腕が、少し恨めしかった。
それは自分の腕なのに俺を嘲笑うかのようで。おまえはもう、何も得られない、と言っているようで。
だから、暗闇で良かったと嘘をついた。
返事はなく、急に腕をきつく握られた。
あぁ、それがこいつ以外の誰かの手であったら良かったのに、と、確かにそう思った筈なのに。




「はっ、くっ、うぅっ……ッ」

唾液で濡らした私の指を林冲の秘所に挿し入れると、脱力していた腕が抗議とばかりに私を叩いた。
それでも突き飛ばそうとしない辺り、本当に体力の余裕がないのだろう。
私は被虐体質はないので経験した事はないが、それにしても達した後に力は抜けるから、仕方のない事なのかもしれない。

「……き…さま、退けッ!」
「何故」
「なぜ…だと?……ふざけるな!」

覇気のない声に見えない姿で言われた所で、何の圧力も感じない。
寧ろ疲れた声にぞくぞくと背筋をはい上がってくるものを感じていた。
見えないのは分かっていながら、にやりと意地の悪い笑顔を浮かべて腰を林冲の太股に押し付ける。

「では、私のこれを慰めてくれるか、私がやったように、口で」
「ッ……!」

ぐい、と私の自身を林冲の太股に擦りつけ、その熱さにほくそ笑む。
数度繰り返せば耐え切れなくなったのか小さく呻く声が聞こえた。

「はぁっ……は、ッ……変態…め!」
「ふふ、定番だが、『その変態相手に感じているおまえは何だ?』とでも聞いておこうか」

一度萎えた林冲の自身に触れる。それはまた緩く勃ち上がっていて、扱けば硬く芯を持った。
ぐちゅぐちゅとわざと音を立てて先端を弄る。もどかしそうに体が動くのを、必死に止めようとする努力が面白い。

「戦線は停滞だな?林冲、押すばかりが策にあらず……寧ろ一度引くのが得策ではないか?」

くすくすと笑いながら、低い声で耳元に囁く。
完全に堪えきれなくなった息遣いを、それでも正常に戻そうともがく林冲の耳をかじれば、息が止まったようですぐに咳込んだ。

「うる、さい、あぁ……えぇい、ままよ!」
「賢明な判断だな」
「黙れッ……くっ」

林冲が一段と声を張り上げたから、おそらく照れていたのだろう。
怒気の存分に含まれた声色は低く腹に響き、震えるような感覚を覚える。

(あぁ、顔が見たい。暗闇はもう、飽きた)

林冲の中に挿れた指をぐるりと中で掻き回す。見えない分感覚は研ぎ澄まされ、声はよく聞こえる。
だが、珍しく無性に不安になって、手探りで林冲の頬に触れた。
ざらり、無精髭を撫ぜて唇を指でなぞると、林冲の後腔が私の指を締め付けた。

(おまえの目は、今何を見ている?)

指で瞼に触れる。半分程閉じかけていたそれを持ち上げ、眼球を舌で舐めた。

「ッ!?公孫勝、何を……?」

(私を写さない瞳など、いっそ食らってしまいたい、だなどと酔狂な)

「……暗闇は好かん」
「しおらしくなるな、胸糞悪い」

林冲なりの気遣かいの言葉が、少しだけ笑えて、その不器用さに溜息をついた。
溜息の抗議を聞く前に、後腔に容れた指を一気に三本に増やして強引に押し広げる。苦しそうな呻き声と共に、体が強張った。

「かはっ……、ぅぐっ」

呼吸に差し障るような所を塞いでるわけでもないのに、何故苦しいのだろう。
そんなくだらない事を考えながら指を進める。片方の手で林冲の自身を扱いてやれば、段々と中の締め付けが緩んできた。

「公孫、勝……っ」
「何だ」
「挿れ、ろ、はやく!」
「何?」

多少解れたとは言え、明らかに男は初めてだろう林冲の台詞に、耳を疑う。
興奮に堪えられない程林冲の自身が勃っているわけでもない。では、何故。

「苦しい、から、ッ、は……はやく」
「……珍しいな」
「はっ、お互い、様、だろう」

『苦しい』、の持つ二つの意味に気付いて、眉をひそめる。
苦しさの中に蘇るのだろう、去来する思い出と、自分の感情その全てが。過去、と言う名の私に不必要なものたち。
それは林冲の持つ弱さ。私に見せてくれた、眩しい心の形。あぁ、なんて優しい心なのだ。
一途で、優しくて、そして……脆くて。

(もっと触れていたくなる)

「ぐっ、ぁあああっッ!」

食いちぎられるような締め付けと、燃えるような熱さの中を、一気に貫く。
押さえつけていた筈の腰が跳ね上がった。

「あ、あぁっ、ぅぐッ、ぅう」

だらし無く開いたままであろう林冲の口から、意味のない声があがる。
その悲鳴のような声に容赦せず、引き抜けるだけ引き抜いて、また一気に貫いた。

「いッ、ぁあああ!ぁ、はッ…ッう」

びくびくと痙攣のように体が跳ねて、林冲が伸ばした腕は、今度は虚空を切る事なく私の肩を掴んだ。
武骨な手が骨を折りそうな強さで私の肩を掴むのが、心地良かった。

「はぁっ、こう、そん……しょ」

裏返った声に呼ばれて、腕の先の闇を見る。

「俺は、まだ、……くッ、んぁっ!」

短い爪のせいで、林冲の汗ばんだ掌が私の肩を滑った。
滑り落ちる寸前、何故か林冲の腕が見えた気がして、視力のきかない闇の中で正確に腕を掴む事が出来た。
無意識に掴んでしまったその腕が、本当に掴みたかったのは、掴んで欲しかったのは、きっと私ではない。
林冲の息を飲む声がそれを確信に変え、私の心を揺らす。
思わず力を込めて腕を握れば、一瞬の逡巡の後、反動ではなくしっかりと意思を持って私の腕を掴んだ。

「あ、あ……ッうあああッ!!」
「林、冲ッ」

絡み合う掌に誘われて、ぐい、と乗り出すように体をずらすと、林冲が酷く艶のある声でないた。
苦痛の薄れた体は、次第に私を追い詰めるように淫らに揺れる。

「あぁッ、あ、あ、……ひぁッ!」
「くぅっ、」

悦い声でなく所を何度も突くと、やめろ、と掠れきった声で叫ぶので、その煩い喉に噛み付いて更に激しくそこを突いた。
突く度に刺激が私の体にも流れ込み、そろそろ開放したくて林冲の様子を伺えば、
後ろの刺激だけで達する事が出来ないのか、等々喘ぎ声は有声から離れ、がくがくと体を震わせて私にしがみついてきた。

「触れッ……もう……、ッあぁっ、もたんッ!」

もどかしげに声を詰まらせた後、髪が床を叩く音が聞こえた。
頭を振ったのだろうか、そんな林冲の様子を想像して、限界まで勃ちあがった林冲の自身に手を添える。
はぁ、と言う艶やかな溜息にぞくりとしながら、一気に扱いて先に爪をたてた。

「はぁっ……あっ!ああっ!ぐぁ!」
「出せ、私も…ッ限界だ」
「ひっ、ああッ、こう、そ……、あああああ!」

生暖かい粘質のものが私の手にかかったのと同時に、私も林冲の中に白濁を吐き出した。






「結局」

ぼんやりと一幅の月明かりが差し込む中、私は柱に身を預けて外を見る林冲に話しかけた。

「あの時おまえは何を言いかけた」

夜はまだ深いが、雨音に支配された空間は今、静けさに包まれている。
あの後また雨水で体を流し、下半身だけ服を着てまた小屋の中に入った。
林冲は一度も私と顔を合わせず、問いかけても黙り続けていた。

「いい加減答えたらどうだ」
「……気にするな」

喉を痛めたのか、酷く聞きづらい声で林冲はそう答えた。

「もういい。俺は、選んだ」
「そうか」

その声には諦めが多分に含まれていて、振り返って私を見つめる瞳には新しい色を感じた。
決意と言うより、否定から始まるその色が、私は気にいらなかった。林冲らしくない。そんな事を私は望んだわけではない。

「余計な世話、と、言われる事を承知で言っておく」
「ならば言うな」
「聞け。……私は、忘れる必要はないと思うぞ」
「やめろ」

林冲が振り返る。月光を背に浴びて表情は見えないが制止を聞かず言葉を紡ぐ。
言うまいとしてきた言葉だが、今の林冲になら、届く気がした。

「忘却を積み重ねて前へ進むのは、おまえには似合わん。
おまえは、忘れたと言いながら、決して忘れないでいるべきだ。そうやって業を抱えてこそ、前に進めるのだと思う」
「……貴様は俺に、悩み続けろと言うのか」

静かな怒声。
僅かに傾けた表情が苦痛に歪んだ。

「そうだ。悩み続けろ、忘れるな、それでこそおまえは恐ろしいまでの力を暴れさせる事なく、優しくあれるのだろう」
「俺が優しい、だと?」
「……自分でどう思うかは勝手だ。だが、私には情という気持ちを優先する事は出来ない」
「それは……ただの罪滅ぼしだ」
「そうだとしても、だ。私には決して出来ない。だから、おまえは悩み続けるべきだ。
そうすれば、いずれ誰かを、おまえにとって償いになる何かを、救う事が出来るのではないか」
「……それは、貴様の意見か」
「ああ、そうだ」
「俺が従うとでも思ったか」

いや、と返そうとして黙った。その様子を見た林冲は、一度目を反らした後、私の目を見つめてにやりと笑った。

「余計な世話だ」






※※※※※※※※※※※
(あぁ、懐かしいことを)

あの時と同じ様な月が出ていた。場所も季節も天気も違うというのに、おかしなものを思い出したものだ。
それというのもきっと、林冲が逝ったせいだ。聞けば、扈三娘を守るため、たやすく逃げられる所を引き返したのだと言う。

「実に、おまえらしい」

扈三娘が帰ってきた後、事の次第を聞いて、思わず私は笑ってしまったよ。
ああ、笑ってしまったとも。
こんな滑稽な話があるか。おまえはあの時、忘れると、余計な世話だと笑ったではないか。

「本当に……」

痛む足に手を添えて俯くと、手の甲に温かい滴が落ちた。

(私は、らしくないな)

あれから、何人も凄惨な殺しをしたし、人の心に付け込むような殺しもした。
その度に苦もなく忘れてきたし、心が動じた事もない。
だが、どうしてか、私は過去を思い、涙を流せるようだ。

「おまえの、せいだ」

林冲、と心の中で名を呼べば、二度とない返事に心が痛んだ。
それでも、今は何故か痛みと共に穏やかな気持ちが私を包んでいた。


林冲、おまえは



「最期まで、優しくあったのだな」





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