十人十色と言うが、俺の色は錆色だ。 確かに周りとは違う、誰にも必要とされぬ陰色だ。 と、そう思ってしまう己の心が、惨めで弱くて、可哀相で、大嫌いだ。 <無垢という光> 六十六年 はぁ、と溜息をつくと、側にあった明かりが揺れる。 明かりに照らされた己の影も同時に揺れて、それにまた溜息をついた。 明日は、俺が指揮を取る。 兄が下した命であった。 兄はこの戦、前線に立たず、何かを窺うように都から動かない。 そして自分の代わりと言うかのように、一番進攻の激しい地域には大尉を、次に激しい地域に俺を宛がった。 (俺に情でもかけているおつもりか) 先程から、否定的な言葉が次々に思い浮かんで、気分が悪い。 嫌な気分は更に否定を生み、不毛な連鎖にいっそ消えてしまいたくなる。 己は国の仕組みに必要のない人間なのではないか、と言う自問自答は子供の頃から続けているが、毎度満場一致で是と出る。 (だから何だと言うのだ) 自害でもすれば良いのだろうが、そんな勇気もない。 人の迷惑にならないような生き方をしようとしても、生い立ちが邪魔をする。 おそらく、己は凡人なのだと思う。 将としても、人としても。 凡人は凡人の器量というものがあり、俺に任されたものは明らかにそれを超えている。 では放棄するのか、それも出来ない。放棄するには……やはり育ちによる考えが邪魔をするのだ。 「俺は兄上とは違う」 昔から、兄のやる事には突拍子がなかった。理由や意味など後からついてきた。 天の時、人の和、努力でどうにもならない域の恵みを常に受けていたように思う。 その眩しさが煩わしく、俺は兄と全く逆のものを選んだ。兄が街の中で友と過ごす時、俺は砂漠に繰り出し砂と戯れた。 子供ながらに虚しい事は理解していて、だがそれでも兄の近くに居る事に言い知れぬ程の苛立ちを覚えたのだから仕方がない。 「兄様、私です」 突然、嫌な考えの連鎖から現実に引き戻された。目の前の明かりがぼやけて見える。 数度瞬きをしてしっかり辺りが見えるようになった頃、もう一度控えめな声がした。 「お休みでいらっしゃいますか?」 「いや、起きている。入れ」 ばさり、と陣幕が音をたてて、小柄な男が入ってきた。 鎧に着られている、という表現が正しい程に初々しい様を放つのは俺のすぐ下の弟で、 それでも齢二十一になる立派な青年だった。 家系的には長身になる筈なのだが、この弟だけはどういうわけか背丈も低く、顔付き愛らしい程に幼い。 だからといって中身が子供というわけではないが。 「どうした」 「……少し、不安で」 かけるように促した胡床に座ると、僅かに眉を潜めて俯いた。 「王のいない戦が、か?」 「いえ、それは兄様がいらっしゃいますので心配はしておりません。心配なのは私の事です」 さらり、と言いのけられて俺は言葉に詰まる。俺の何処に、信頼に足るいわれがあるのだろうか。 「この様な体つきですので、やはりたまには不安に思うのです」 兄様のように、背丈があれば、顔付きが凛々しくあればまだ、少しは自信が持てましょうが、と言って少し照れるように笑う。 確かにそれは少年のもので、弟に続く将には不安と取られるのかもしれない。 「その程度の事でお前を舐めるような者は、端からお前には着いて来ない。自信を持て」 目を見て言うと、弟の顔が俄かに明るくなった。 「ありがとうございます。兄様に励まして頂けると、元気が出ます」 「……励まして欲しくて、来たのか?」 実は、と言い辛そうに口ごもらせて、弟はしばし口を閉ざした。 沈黙が、余り苦しくない。 頭脳明晰なこの弟でも、不安になる事があるのだと思うと、自然と俺の口からも言葉が出てきた。 「おまえは、俺と兄上をどう思う?」 「戦に置いてでしたら、似た者同士、かと」 「何?」 「勇猛果敢で、前線の情勢を覆す勢いを持っておられます。私には到底出来ないことです」 「あぁ……、そういう事か」 確かに、弟からして見ればそう映るのかもしれない。だが、その求心力や推進力は雲泥の差だ。 「……兄様も、何か悩んでいらっしゃるのですか?お声に力がありません」 真剣な眼差しが俺を見詰める。 この弟にだけは、この無垢な瞳にだけは、何故か全てを吐露してしまえる。 (戦場に立つ人間に、無垢と言う言葉はまやかしなのだが) 「俺は、兄上の様には出来ない。策を用いるにしても溺れ、力押しとて兄上程の力は出せん。中途半端だ」 「……」 弟が難しそうな顔で黙る。 世辞でも考えているのだろうか。それなら悪い事をした。 そもそも翌日に戦を控えた指揮官の弱音など、見苦しい上に言語道断だと今気付いた。 「いや、今のは気の迷いだ、気にしない……」 「兄様がそれらを全て出来てしまったら、私は何をすれば宜しいのでしょう?」 「何?」 ゆらり、と揺れた明かりが不思議と妖しく、弟の顔を照らし、影をつくった。 台の上には、頭の形とは似ても似つかぬ奇妙な影が出来ていた。 思わず手を伸ばし、弟の頬に触れる。 それは昼間見るのと変わらず滑らかで、安心して手を離した。 弟はその一部始終を文句も言わず目で追いかけていた。 「私は、兄様の補佐官です。補佐官は、補佐をするのが仕事。兄様の背中を守るのが仕事です」 「それは、兄上には必要のないものだ」 「何故兄上の様になろうとするのです?兄様は兄様で宜しいではないですか。 正直、兄上の様な予測の出来ない方を、私達配下は余り好みません」 「な、お前」 「家族としての親愛はまた別です。配下の我々にも行動の自由をくださりつつも、統率を取る。 配慮に基づいた指揮の仕方は、兄上ではない、兄様にしか出来ないものです。 だから私は、何故兄様がそれ程までに悩むのか、分からないのです」 買い被り過ぎだ、と言おうとして開きかけた口を、静かに閉じる。 卑屈や否定は、この弟に聞かせるべき言葉ではない。弟が信じる俺を、明日示す事が唯一の解決策なのかもしれない。 「そう、か」 「私は、兄様だからついて行きたいのです」 少し辛そうな顔をする弟に、ありがとう、と微笑んで送り出した。 私の存在意義を示してくれる言葉、『兄様だから』。とても温かい言葉で、それは少し俺の背中を押してくれた。 どうやら否定の渦からは脱出できたようだ。 ※※※※※※※※※※ 陣幕から少し行った所で、影から不意に人が現れた。驚きもせず、補佐官はその人物に向き直る。 補佐官の足元に座り頭を下げるもの、それは彼の斥候。 何です、と先程までとは打って変わった冷たい声色を投げ掛ける補佐官に、斥候はにやりと笑って顔をあげた。 「御兄様を騙すのも程々になさいませ」 「騙す?身に覚えがありませんね」 「体つきで悩む事があるとか何とか。あなたがそんな繊細な事で悩むものですか」 斥候の笑いに、補佐官はあくまで無表情に言葉を紡ぐ。 月明かりが照らすその姿は、幼い顔付きと合間って不気味さすら覚えさせる程であった。 「嘘ではありません。小柄な体つきは将にとって欠陥品である事は明らかなのですから、悩むのは当たり前でしょう?」 「そう思ってるようには見えませんがねぇ」 「私は、現実を受け入れているだけです。悩みは悩みという事実、それ以上でもそれ以下でもありません」 「それは悩んでないと言うのだと思いますが」 くす、と補佐官が笑う。 無表情を崩した笑顔はやはり幼く、そして僅かに気の緩んだものであった。 「いずれにせよ、私の仕事は兄様の補佐。これ程までに幸せな仕事はありませんよ。 兄様は血まみれの戦場で輝く無垢な光、私にはそう見えているのですから。 兄上は私の気持ちを知ってか知らずか……いえ、知ってはいないのでしょうね、ただ分かってはいそうですが」 「また言葉が矛盾してますぜ」 「あなたは言葉が砕け始めていますよ。まぁとにかく、兄様のために私に出来る事なら何でもする、というだけの話です」 「下手な芝居もうつと」 「だから、下手でも芝居でもありません。元気付けの一種です。 それよりあなたは無駄口叩く余裕があるなら仕事の方は完璧なのでしょうね?」 返事とばかりに斥候が笑顔を浮かべると、補佐官は溜息をつくように頷いた。 そして足元に広がる広大な砂漠を見て静かに目を閉じる。 僅かな砂の音が辺り一面に広がったように感じて、微かな恐怖を覚える。 恐怖を覚えたら、思考を止めれば良いのだ、そうしたら卑屈になる事もない。 (兄様の様に悩み抜く覚悟は、私にはない。人それぞれ生き方があり、私は私なりの生き方で大切な者を守ってみせる) 補佐官に、不安がないわけではなかった。一様に不安を抱え、それぞれが己なりの覚悟を決める。 帝国では、防衛線の要たる門を越える時、辞世の句をうたうものも居るという。 肥沃な土地に生まれ育つ帝国の人間は、砂だけが永遠と続く広大な地を、死線と捉えたのかもしれない。 投げやりな歌、決意に満ちた歌、友や故郷を思う歌。 砂漠に住む側から見れば失礼極まりない文言とて、彼らにとってみれば確かな覚悟の歌なのだろう。 「結局、皆同じなのですよ」 「何がです」 「戦に立つ者は、覚悟を決めた開き直りの意地っぱりです」 くすくすと笑う補佐官に、斥候は怪訝な眼差しを向けて、 意地の張り合いなら負ける気はしないですねぇと茶化して、つられるように笑った。 乾いた空気が漂う砂漠の中央で、その笑い声もいつしか枯れるように止んでいったが、 空には眩しいばかりの星々が互いに競うように瞬いていた。 ※※※※※※※※※※ 腹黒とまでは行かないかもしれないけど、割りと無駄だと思った事はばっさり切っちゃう弟と、 一歩あるく毎に一歩前の事を悩んじゃう、うじうじした兄貴の話でした。 誰か気づくかなぁと思ってたのですが、最初の次男のモノローグの「みじめで、弱くて、かわいそうで、大嫌い」って、 某歌手グルーブの「さよなら大好きなひと」のサビです(笑) ―戻る―