私はあなたが、嫌いだ。



<上下、もしくは左右、もしくはその総て>



「お早うございます、大発見です!」

そう言いながら蝶番を壊す勢いで、『あの人』が執務室へ駆け込んで来た。
もはや毎度の事なので、私も兄上……王も、頭を向けることなく酷使される扉の無事を祈った。

「聞いてください、今日、私の家の猫が屋根から飛び降りたんですよ、驚きだと思いませんか?」

思いません、と心の中で突っ込みながらやっと視線を『あの人』に向ける。
涼やかな見た目に合う藍色の官服を纏い、これでもかと言わんばかりに微笑みながら自分の席につく姿を見て、
小さく溜息をついた。
何でこの人がこの国を代表する軍師なのだろうと思う私は、きっと間違ってはいない。

「今溜息つきませんでした?しかもあろうことか私を見て。酷くないですかそれ。仮にも上司ですよ私」
「では、遅刻して来ないで下さい」
「おや、遅刻?私は遅刻などしていませんよ?」

そう言いながら執務室の扉を開けて、細い腕を伸ばした。
真っ直ぐ伸ばした右手の上に左手、左手をその位置を保ったまま更に右手を乗せ、にこりと私に振り返った。
右手の先には太陽が光っている。
それは確かに執務開始の時刻……なのだが。

「方角が逆です」
「流石に気付きますか」

すいません、寝坊です、とのたまう彼に怒鳴り付けてやりたい気分になったが、どうにか自重した。

「まぁ良いですよもう。いつもの事ですしね」
「いつもではないですよ……」
「言い訳はいりません」

むぅ、と口を尖らせる彼に、また怒鳴り付けてやりたい気分になった。
一度我慢したんだし良いかな、怒鳴っても。
私が理性と静かな葛藤を繰り広げている間に、彼は自分の机に積み上がった布やら竹簡の上に踊る文字を斜め読みしていた。
本人は気に入っているのかもしれないが、貴重な木材をこんな使い方をするとは、
そのうち司徒や司空あたりに怒られるんではないかと思う。

「筋違いです」

一瞬の無音の後、君ですよ、君、と呼ばれ私あての言葉だと気が付く。
だが、彼は顔を上げず文字を読んでいた。

「ですからね、竹簡は帝国では重いだとか嵩張るとか言う理由で安いんですよ、逆に布は高い。
うちは布織る位しかまともな産業ないですから、ぼろ布は安いんです。売るしかないでしょうそんな利潤が出るもの」

すみません、と言って一拍。
あぁ流石に物は考えているなという感心より前に純粋な疑問が一つ。

「……え、というか私口に出してないんですが」
「そういう顔をしてました」
「そういう顔って

「俺は」

低く通る声が部屋に響く。
声に圧力があるとは思わないが、何か圧倒される雰囲気を携えた声。勿論この部屋に居る兄の声である。

「猫の話が聞きたい」
「は?兄上何を……?」

だから、と言ってようやく顔をあげた兄は、悪戯を考えた子供みたいに幼い笑顔を浮かべていた。

「遅くなったのもどうせそのせいだろう」
「ええ、そうです」
「何ですって?」

それは寝ていたよりも酷いのではないか、と思う。

「猫が、屋根から飛び降りても平気なのって不思議じゃありません?
自分より何倍も高い所から飛び降りたら私まず死にますよ」
「はぁ、まぁそうかもしれませんけど」
「しかも、ひっくり返したまま落としたても平気なんです。馬やラクダじゃそうはいきませんよ」
「だからどうしたんです」
「それだけです。何度も色んな落とし方しているうちに時間がたってしまいました」

猫、可哀相。

ではなく、やはりそれは寝ていたより酷いだろう。
なのに兄は楽しそうにその様子を見ている。兄の笑顔を見て、一層軍師に対する苛立ちが募った。

「あの
「ちょっと、おまえこっち来い」

兄が私に手招きをする。渋々近寄ると耳打ちをされた。

「あいつの家に猫なんていないぞ」
「は?」
「ついでに昼間、寝ていたわけでもない」
「は?では何を?」
「俺が頼んだ仕事をやっていた」

はぁ?
では何故、先程から意味のない嘘を積み重ねているのだ。
にやにや笑う兄上に促されて軍師を見ると、こちらもまた楽しそうに笑顔を浮かべていた。

……まさか。


「私をからかっていたのですか!?」


はい、と無駄に元気良く軍師が頷く。いよいよ腹が立って立ち上がるも、兄上の顔を見てどうにか思い留まる。
こんな奴でも、兄上が自ら選んだ人物には違いないのだ。
でも、こんな時にいつも思う。


(いつかあなたを超えて、あなたなど用無しにしてみせます!!)


私はあなたが、大嫌いだ!




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弄ってみたいお年頃。
青年になりかけで頑張ってる少年って、からかってみたくなるよねってお話。
四男はみんなの癒し兼おもちゃ君です。



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