屍に刺さる一本の矢。それは決別の墓標か。 <星に導かれるように> 六十四年 「殿、今すぐに指示を!」 滅多に慌てる事のない大尉が、血相を変えて喚きたてる声に、俺は頭がついていかなかった。 報せは、最近領土に加えて未だ小競り合いの続く東の情勢ではなく、南。 氷河山脈の辺にある小さく長閑な村に帝国の大軍が押し入ったというものであった。 その数二万。 大陸横断路から外れ、余り過ごしやすい気候でないその地域は、何をとっても秀でたものがない。 更に不可解な事に、帝国軍は村を襲ってすぐ、引き返したと言う。行動の意味が、まったく分からない。 「……これはどういう事だ」 「お答えしかます、それより今はこの村への対処をお決めに為られる方が先決」 「そう、だな、よし。おまえはここに残り、不足の事態に備えろ」 「では誰を」 「俺が行こう」 自ら赴こうと思った理由はあげればいくつかあるのだが、虫の知らせのような何かを南から感じたのが一番の理由だ。 何故だか分からないが、こういう時の俺の勘は酷く冴えている。 騎下五千と将軍二名とその配下を連れ、直ぐさま南の村へと向かった。 道中、帝国軍とすれ違う事もなく、行軍する皆に緊張感と警戒心がないまぜになったどろどろとした空気が漲った。 「あ……」 先頭の兵が呟く。 隣、また隣と呟きが広がり、不意に大きな向かい風が吹いた。 「火……」 焦げ臭い、それもおそらく木材だけではなく 「脂の、におい……だと!?」 後僅かで見える筈の村の惨劇を想像して、驚きと怒りが沸き上がった。 何故、抵抗すらまともに出来ぬ村を焼き打ちにしなければならない? まるでみせしめのような、……みせしめ?帝国に属さない村はこうなると言うみせしめなのか? (ふざけるな、民を何だと思っているのだ!) 「全軍、全速で目標へ急行!村人を救え!」 ※※※※※※※※※※※ 「酷過ぎる……」 氷河山脈に張り付くようにあった筈の小さな村、それが今、燻る煙と崩れた炭、そして夥しい白骨の山と化していた。 炎の強さが激しかったからだろうか、積み上がる死体に肉が残るものはなく、どの位の人数がいたのか把握するのも困難だ。 そういえば、この地域は風が激しい。 氷河の山までもその山肌をえぐられ、炎の恐ろしさを感じざるを得なかった。 カツン、思わず後ずさった足が何か鉄のようなものを蹴った。 「……おかしいぞ」 側に居た将軍を呼びやる。 「まだ生存者がいる筈だ、探せ」 「……生存者」 「必ず居る、探せ!」 死体が『積み上がって』いる事、そして『すべての』死体が白骨化している事、 なにより今俺が蹴ったもの、それは鎧の成れの果て。この村に、鎧などあるはずがないに。 「帝国軍を追い払った民が、必ず居るはずだ!助け出せ!」 ガシャン! 「っ!?」 俺のすぐ横にあった白骨が、突然何かによって砕かれた。 帝国軍かと思い距離をとる。そして白骨のあった場所には、血の跡の残る矢が突き立てられていた。 (帝国軍ではない……!) 「英雄気取りですか」 冷たく凜と通る声。 思わず竦み上がりそうになるその声は、俺達の遥か上、えぐられた氷河の、洞窟のようになった所から聞こえた。 見上げた先に居たのは、一人の男。片手に血まみれの弓を持ち、もう片手に夥しい数の矢が刺さった何かを持って、 凍てつくような眼差しでこちらを睨んでいた。 「村の者か」 「ええ」 「生存者はおまえだけか」 首を横に振る姿を見て、矢を射られた事も、かけられた言葉も忘れ、俺はほんの僅か安堵した。 「何を安心なさっている」 「村の者が生きていた事に決まっている」 俺の言葉を聞き、村人は冷たい目をしながら口を半月状に歪め、よく通る声で笑った。 高々と、本当におかしそうに。惨劇で気が狂ってしまったのか、と一瞬考えたが、 先程から言葉に狂った様子がない事を思い出した。激しい怒りを現す彼の声は、それでもなお冷静さを欠いてはいない。 「何故笑う」 「愚かだからです、あなた様が。何がしたいのかさっぱり理解出来ません。 村人はね、半分以上が死にましたよ。残りの半分も、心や体を病んでしまった者が多い」 「今すぐ助ける!」 「それが遅いと申し上げているのです!」 (何なんだこの男は……!) 村人の態度は明らかに不遜であり、それを分かっているだろう周りの兵は、嗜めの声をあげる事すら出来ていない。 もし、声に圧力があるとしたら、この男のそれは今までに見た事のない程に大きい。 「何故今頃、事が起こってから参られた」 「事が起こる前に、この村が襲われると誰が予測出来たのだ」 「それを予測し、対処するのがあなた様の仕事でしょう。あなた様はそれすらせず、方々へ領土を広げなさっているとか。 案の定、反乱が起こり、戦地になった街では民が巻き込まれている。 そして今、ここへ来て『村人が助かって良かった』ですか? 父上も、母上も、仲父上も、仲母上も、姉上も、妹も、皆死にました。 良かった?何が? 何もよくなどありません! 全てを引き起こしたのはあなただ! 自分に貸せられた責務を放棄したら、私達のような平民は生きていけないのです。 それなのにあなたはのうのうと英雄気取りが出来る。それが腹立たしくて憎くて許せない!」 まくし立てて、村人は小さく息をついた。 彼の吐く言葉はどこまでも正論で、しかし、彼には悪いが、この時代には余りに有り触れた言葉だった。 そして、一つ致命的な誤解がある。俺が一切何も考えず事を起こした試しはない。 考えられる手を施してなお相手の方が上回っているのなら、それが俺の限界なのだ。 知恵が欲しい、かねがねから思っていた。俺は戦を勝利に導く事は得意だが、この手の駆け引きには不得手なのだ。 (優秀な相談相手、軍師がいない……しかしこの言葉も彼の前では言い訳に過ぎないのだろう) 「予測せず、俺は……この国は動かん」 「では、まさか誰も予測出来なかったのですか?この国の長たる方々が? 私達の村がこの様になったのは、仕方がなかった……と?」 ばさり、片手に持っていた何かを、彼は落とした。 それは血や矢に塗れていなかったら色と柄で人々を魅了したであろう美しい絨毯だった。 咄嗟に盾代わりにしたのだろうか。僅かに見えるその細やかな模様が、今は虚しい。 「そんな事が、あるのですか。後ろに氷河山脈、しかも我が国の都へ繋がる地下水の注ぎ口。 気候、地理共に災害なく我が国の都へ直進出来る可能性が格段に高いこの村の重要性を、国が気付いていない……と、 あなた様はおっしゃるのですか? では……まさか、最近の無謀としか思えない侵略の仕方……何も、理解されていない?」 驚愕の色を浮かべて彼は言葉を詰まらせた。ゆらり、日の光が珍しく陰って空気がじわりと気配を持った。 「あなた様が侵略した西端の街は敵国の司空の生まれた地。襲えば、縁者が反乱を誘発する事位 ……そもそも帝国の領土だと言うのにあの街はわが国の領土内の山脈から水を引いているのですから、 もしあの地が本当に欲しいのならそこから攻めるのが上策ではないのですか……?」 「なっ……」 絶句だった。 俺ですら知りもしなかった情報がすらすらと、田舎だと侮っていた村の者の口から出てくる。 俺が劣っていると言うより、この男があまりに悟いのだ。そしておそらく、本人はその事実に気付いていない。 近くに居た兵が、小さな声であれは何者だ、と呟いた。 (いかにも、彼は一体何者なのだ?) 「おまえの考えは、俺を遥かに超えている」 「何ですって……?」 彼の目が、一瞬怯んだ。 間違いない、この男は自分の特異性に気付いていないのだ。 (まさに、逸材……) しばらく黙った後、彼は一層悲痛な色を湛えて俺を見た。 「そんな事があるとして、私がここで喚いても意味などないのでしょう?もう、疲れました」 突然、彼が視界から消えた。服の上に纏っていた布が彼の居た場所にふわりと舞って、やっと何が起こったか気付いた。 「だ、誰かあの男を助けろ!」 氷河の洞窟から、落ちたのだ。 意図的か、体力の限界か。そういえば俺達が来るまでの十余日、彼等はどうやって生き伸びたのだろうか。 果たして、俺の予想は両方が正しかった。 炭と化した木材が衝撃を吸収したのか、彼に落下による怪我はとくになく、助けにきた俺の顔を見て彼は苦笑した。 「あなたに忌み言が言えたら、それで満足だったのです……」 彼の瞳に、始めて涙が滲んだ。 「本当は、村の人間は私で最後。生き残った者も、一日一日と減って……。 腐った肉に虫がたからぬよう、焼くしかなかった苦しみ、自分が取り残される恐怖、もう沢山です」 すぅ、と彼の瞳から正気が消えかかった。思わず彼を抱えあげる。痩せ細った体にあわなくなった服が肩からすべり落ちた。 (失いたくない……失ってなるものか) 「ならば」 声をあらげて彼を揺すると、ほんの僅かだけ目を開いた。 「ならば、おまえが国の中心へ来い。二度とおまえのような者が生まれぬ様に俺に知恵を貸してくれ」 「……」 「おまえが今日まで生き残っていられたのには、意味があるはずだ。その意味を……っ、俺は口が上手くないんだ」 「何、を……?」 「おまえが欲しい!」 冷たい腕をにぎりしめ、返事を待ったが、彼は僅かに口を開いただけで声を出さずに気を失った。 それでも俺は、何故か彼に誘われるように笑顔を浮かべていた。 ※※※※※※※※※ その後彼を都へ運び介抱するうちに、色々と彼の事が分かった。 あの村の中心である絹屋の跡取り息子であった事、洞窟の水で何日も生きていた事。 帝国の兵を殺したのも彼で、見よう見真似でその辺の焼けた木材を投げつつ槍を振り回したと聞いた。 絨毯を盾に使ったのも、自分の部屋にあった物を偶然目についたから使用したに過ぎず、 また驚いたことに、とくに戦いに関する経験はないと言う事だった。 (窮地に陥ると人は思いがけぬ力を奮うものだな) ただ彼の知恵に関しては本物で、異様に詳しい情報は、ふらふらと行商に混じって見物を広めたり、 金にあかして本を買いあつめ言葉を覚えたりするうちに、 行商がちょくちょくと彼にだけ世間話のように情報を渡してくれていたのだと言う。 「入るぞ」 「どうぞ」 ゆったりした喋り方、それが彼の本来のものらしい。 まだ寝台から起き上がる事は出来ないが、それにしても早い回復に医者は驚いていた。 「今日は、答えを聞きに来た」 「何のことやらわかりません。私は気を失ったものですから」 ならば、もう一度頼もうと口を開きかける。彼はちらりと俺を見ると、構わず先を続けた。 「……私はものではないので、欲しいというのは承諾しかねます。 私の生き残っていた意味というのもどう考えても取って付けた意見であるのが否めませんね。 それ以外でしたら、承諾致します」 「……」 「何か?」 するり、と意図もたやすく寝台から立ち上がると、にこりと笑って俺の足元へひざまづいた。 「あなた様の知恵となり、私は国を守る一本の柱になりましょう」 あなた様の言葉を借りるとそれが私の生きる意味なのでしょうから、とぬけぬけと言い放ち、何食わぬ顔でまた寝台へ戻った。 (とんでもない奴を釣り上げたな) しかし、それでこそ面白い。 「あ、早速ですが、今すぐこの都のオアシス周りに何らかの対策をなさった方が良いと思います」 「何?」 「私達の村の氷河は、溶けたらこの都の地下水になると言いましたでしょう? あんな大量の氷河が一気に溶けたらどうなるか、お分かりになりません?溢れますよ」 「それが、つまるところ帝国の狙いだったのか……?」 「私はそう思います」 にこり、と彼……俺の軍師が笑うので、俺もにやりと笑いかえした。 すとん、と俺の心に納得がいって、俺は久しぶりに(そう、『久しぶり』に)声をあげて笑った。 入口の扉が風に打たれて揺れる。きっと追い風だ。俺は根拠もなく確信していた。 ※※※※※※※※※※※※※ 軍師の、戦う理由みたいなものです。 何か司徒の話を書いたらあまりにも周りに、軍師酷い!軍師死ね!とか言われたので、 彼も意味なく口出ししたんじゃないよ、彼なりに頑張ろうとした結果なんだよーっていう、ね。 あ、ちなみにこの話に出てくる展開に突っ込みを入れてはいけません。 気づいてるから。 色々おかしいの位気づいてるから! ―戻る―