私こそ、謀反の首謀者なのだ……そう言って罰せられたらどんなに楽だろう。 それは、あなたに対する裏切りだと分かっている。でも、まだこの苦しみから、逃れたいと思う時もあるのだ。 あぁ何て醜い人間なのだろう。 そんな気持ちを抱えながら、私は今日も砂と太陽の王国の民を思う。 <あなたのいない世界を生きる> 大尉と司空の二人に労いの言葉をかけて、私は仕事を切り上げた。 まだ日は高く、雲一つない空は何処までも続いている。 「今日はあなたの命日です」 あなたはとても、清廉だった。 国民の平和のために不正を許さず、規律に厳しく、それなのに時に情も覚えた。 身寄りのなくなった私を引き取って、才があるとおっしゃりお側に置いて下さった。 普段は誰にでも分け隔てなく優しい笑顔を向け、仕事になると引き締まるその顔に、私は憧れていた。 あの頃の幸せな日々は、大して昔でもない筈なのに、まるで霞みがかかったように遠くにある。 それでも思い出そうとすれば、未だに胸が苦しくなる。 幸せな頃と今との間の年月が、私の首を絞めているようだ。 あなたが変わったのは、あの軍師がこの王朝に口を挟み始めた頃からだ。 軍師だから当たり前、それはそう。 しかし、軍師の仕事は戦略であり、政治に置いて司徒に口出し出来る権限はない。 あなたが少し苛立ちを隠せない様子で、どうにも軍師が口出ししてくる、と呟くから、 どうか致しましたか、と尋ねた時の事をよく覚えている。 難しそうな顔をしてから、小さく微笑んで(何て下手な作り笑顔だったんだろう)、 正論には違いない内容だったからこちらが我慢しておこう、とおっしゃった時、少しずつ歪みは生まれ始めていたのだろう。 そう、それは少しずつ、あなたの中に貯まっていった。 あなたは優しくて清廉な方だ。 だから、あの俗にまみれた軍師にも心を配り、そのせいであなたは擦り減っていった。王も、軍師を嗜める事はなかった。 呟く言葉に刺が含まれて行くのに、時間はかからず、気付けばあなたは変わっていた。 暖かな日差しのような優しい笑顔を見せる事はなく、代わりに蔑むような笑顔を私に見せるようになった。 あの時何を考えていたのか、結局恐ろしくて聞く事は出来なかったけど、もし聞いていたなら、何かが変わったろうか。 (何て、都合の良すぎる『もしも』に過ぎない) まだ戻れる。 まだ、昔のあなたに戻れる。 まだ、まだ、まだ、まだきっと。 そう思いながら、目の前で変わってゆくあなたを見る事の辛さなど、きっと誰にも分からない。 でも、私にも非はある。いや、私にこそあるのだ。 あなたはいつも、私が間違った事をしたなら、私を咎める勇気を持てと教えて下さっていたから。 しかし、私にはあなたが間違っているようには思えなかった。 分を弁えず、口を出す軍師を怨みこそすれ、あなたに非は見当たらなかった。 その筈だったのに。 王を、弑す。 そう聞いた時に、私はやっと気付いた。 間違っていた、あなたは間違っていたのだと! 私が止めるように言った時、あなたは酷く矮少なものを見る目で、意見なぞ聞いていない、と吐き捨てた。 手遅れだと悟った。 そう悟った時、私は全てを投げ出した。 私にあったはずの諌めるという責任と、弑逆者の存在を王に報せるという責任を。 それが取り返しのつかない事態に繋がるだなんて考えもしなかった。 私には、あなたしかいなかった。 私が仕えていたのは、両親を奪った戦を引き起こした王ではなく、あなただったのだから。 あなたは国民が平和であるように、と祈っていたから私も従ったけれど、 あなたがそれを自ら捨てるなら、もう私はどうでもいい。 このまま弑逆が成ろうと、見つかってあなた共々死のうと、どうなっても構わない、そう思った。あなたと一緒なら。 なのに。 あなたは私をおいて、王の寝所へ向かった。私宛てに「すまない」と書き置きを残して。 (すべては、あなたの中に昔のあなたが残っている事を気付けなかった、私の責任だ) 派手に何かが倒れる音がして私は目覚め、書き置きを見つけた。 その一言はあなたの普段の文字と違い、酷く震えていて、まるであなたの悲鳴のようだった。 『すまない』 その一言に、私は心がえぐられるようだった。 何故。 何故止めてくれなかったんだ。 おまえなら止めてくれると、信じていたのに。 あなたはすまないという一言を書く時、そう思っていたのではないですか? あなたの事だから、この言葉で私が受ける衝撃を理解したのでしょう。それでも書かずにはいられなかった。 でも、あなたは優しい。 きっと、本当はもっと沢山書く言葉があったのではないですか。 それらを押さえて一言書いた言葉は、文句でも罵倒でもなく、謝罪。 あなたは、本当に最後まで優しかった。 狂ってしまえば楽だったのに、どこまでも正気で。正気を残したまま心が病むのはどんなに辛かったか。 私は、私はそんなあなたを……。 とめどなく溢れる涙を拭いもせず、音がした方へ走った。 結末は容易に予測出来た。 そして、実際その通りだった。 王の寝所の手前の部屋に、俯せで倒れているあなた。周りに寝所を守る兵が立ち、手に持った槍が赤黒く濡れていた。 「うわぁぁあああああ!!」 寝所から姿をあらわした王へ顔を向ける事なく、私は倒れたあなたを抱いて泣いた。 恥も外聞もなく、ひたすら縋り付いて声の嗄れるまで。 夜の寒さはまるで死そのもので、あなたの体は驚く程冷たかった。 何で、こんな結末を迎えなくてはならなかった! 筋違いだと分かっていても、全てを怨まずにはいられなかった。 あの時もし王が軍師を嗜めていたら、そもそも軍師などやってこなかったら、取り留めもない事を考え、 しかし最後にいきつくのは、もし私があなたを嗜めていれば、と言う一点。 私はあなたと一緒なら、どうなっても良かったのに。 その気持ちがどんなに浅はかで、逃げであるかを、まざまざと見せ付けられた。 あなたを壊したのは、他の誰でもない、一番側にいた私だったのだ。 「あ……」 「おや」 「こうなるとは思ったんだ」 私が墓につくと、そこには先客が居た。王と軍師だ。 王を弑逆しようとした者に当然公な墓はなく、城の裏手の一角にひっそりと、 知らなければ気付かないようなものを王と軍師がつくったのだ。 「だから早くしようと言ったのに」 「いつまでも離れなかったのは王です」 「……まぁ、そうだが」 そういって、王は優しそうな目で僅かな土盛りと石版を見る。横の軍師も珍しく真面目に石版を見つめていた。 そんな様子を見て、私は王から言われたあの時の言葉を思い出していた。 私はあの後、弑逆者の一味とみなされ牢へほうり込まれ、事情を洗いざらいはかされた。 助かる気などさらさらなかったから本当に何も隠さず全てを話し、死を賜るのを望んで待っていた。 そこに、そうわざわざ牢獄に、王は現れた。 カン、カン、と石畳を靴が叩く音が、私の死への導きの様でとても不快に感じた事を覚えている。 (最後に話すのは、あなたであったら良かったのに) カン、と一際高い音を立てて、私の牢の前でそれは止まった。 やってくる相手に全く目をやっていなかった私は最初、死刑を知らせる官吏か誰かがやってきたのだと思ったのだが、 それにしては相手にぞくりとする程の存在感があった。 僅かに違和感を覚えて目をやれば、高貴な靴が見えた。 それで、やっと相手が誰であるか気づいたのだ。 「起きているか」 低く響く声。 確かに、地下牢は声を方々に反射させて、まるで総ての方向から話しかけられている錯覚に陥った。 「起きているなら、こちらを向け」 力を抜いて放り出していたはずの全身が、見えない何かに突き動かされるように私は王へと体を向けていた。 その時の私は混乱していたのだろう、あまりに予想の出来ないことが起きていて。 「良かった、まだおまえの目は死んではいないな」 王の言葉など一切耳に入らず、普段なら疑問に思うはずの言葉もただただ右から左へ流れていく。 だが、王の言った『死』という言葉には、酷く心が痛む気がして、それをきっかけに段々と混乱から覚醒していった。 (死ぬ、そう、死ぬのだ私は。死んだら、あなたに会える) その時あなたは、私に笑いかけてくれるだろうか。 ふと、頭をよぎった言葉に、冷たい瞳で私を見下すあなたが被って見えた。 (微笑みかけてなど、くれないかもしれない。それでも、あなたのいない世界など) 「おい、聞いているのか」 私の思考に、重々しい声が入ってくる。 数回瞬きをして王を見ると、彼は神妙な顔つきをしていた。 そして、その直後に発せられた言葉は、漸く覚醒しかけていた私の頭を混乱の渦へと叩き落とした。 「おまえに司徒を任せたい」 色々考えて、こうするのが一番良いと俺は思った、おまえなら実力は確かだしな、そう続ける彼の声は、 あれだけ威圧感があるにも関わらずどこか遠いところにあるようで、私の予想範囲を遥かに超えていた。 何故、という疑問だけが私を取り巻き、何度も首を横に振りながら戦慄くように後退りをする。 (違う!こんな、こんな事はあり得ない) 断りの言葉が、上手く口から出てこない。 乾いた喉をごくり、と鳴らすだけで、開いた唇は震えて使い物にならなかった。 自由にならない体とは反対に、頭だけは混乱の中でひたすら言葉を紡いでゆく。 (そんな、馬鹿なことが)(何を言っているのだ、この人は)(私は、罪人で)(罪人?)(誰に対して) (王か?)(いや、王では)(私は王に対して罪を感じてはいない) (では、誰に) (それは) (あなたに) 「頼む」 かけられた言葉に、微笑むあなたが被って見えた。 きっとこれは、あなたが私に下さった罰であり夢なのでしょう? あなたはいつも国民の平和を、穏やかな笑みで祈っていたから。 あなたは優しい。優しくて、少し残酷だ。でも、これはあなたが私にくれた大切なものだから。 私はこの罪を背負いながら、あなたのいない世界を生きています。 一際優しい風が砂を舞い上げ、墓を見守る私達の目に入った。 痛みに目をつむり、擦って出す振りをしながら流しかけた涙を拭った。 「戻ろう」 王の声も、少し震えていた。 ※※※※※※※※※※※※ 分かり辛いから注釈。 王は、幼い頃から司徒の姿を見て育ってきてるので、弑逆者としての姿に寧ろ多少の責任を感じています。 軍師もきっかけは自分だったと知ってちょっとは責任を感じています。現司徒は言わずもがな。 ―戻る―