靄のかかった不思議な空間で、気付けば誰かを締め殺している。
あぁ、いけない、と頭は思うのに、手に込められた力は徐々に増して、くたり、と相手の首が力なく垂れる。
それでやっと私は手を離す。
(誰)
ぱさり、とおよそ人らしくない音をたてて倒れた相手は、ある意味予想通りだった。
(あぁ、軍師)
そこでいつも、夢であると気付くのだ。


[予兆の意味−吉−]
六十五年


「また」

無意識に出た声が掠れていた。
月明かりが冷淡な光を注ぐ、今は真夜中。酷く寝覚めの悪い夢だ。
軍師の事をもう認めたと思っていたのに、未だにこの夢を見る。
夢は前日気にしていた事や考えていた事が現れると、誰かが言っていたような気がするが、
私はそんなに彼の事を意識していただろうか。

(所詮、夢なのか)

大体、私はこの手で人を殺めた事などない筈なのに、何故夢の中では感触まで分かるのだろう。
自分の首に右手を当てる。少し力をいれてみたが、夢の中のそれとはまるで違う。
やはり私は知らない、と改めて思うだけだった。

(まぁ、これがあなたでなくて良かった、と思う事にします)

いつも、殺している間は相手が誰であるか分からないのだ。
まるで人形の様な相手が知り合いだと分かるのは、殺してしまった後。
不意に暗示めいたものを感じて、私はある場所へ行く事に決めた。


※※※※※※※※※

鬱蒼と生い茂る木々、と言うのが本来どういう様であるのか、私は知らない。
大体、『鬱』という負の意味を持つ漢字を木々に使う事が許されるような国を知らないのだから仕方がない。
しかし、この場所だけはその言葉が使われて差し支えないだろう、と思われた。
それは負の意味ではなく、異質と言う意味だが。そこは、この国の異質だった。

(……静か)

月明かりが、私の背丈の倍程もある木々に降り注ぎ、地面に不気味な模様を写す。
砂塵の風もこの地に生える木々には敵わないのか、肌をうつ風に砂が混じる事はない。
その静けさもまるで何かに押さえられたような、『何かがある』静けさに感じられた。

(どうにも好きになれない)

そんな場所に、小さな組積造の家があった。
時代錯誤と言われて仕方ない石積みの家の周りには、私では理解出来ないような物が並んでいる。

「もし」

答えはなく、私の声は虚しく消えた。
留守、という事は流石にない筈である。
夜なのだから……と、そこまで考えてやっと相手が寝ている時刻であると言う事に気付いた。

(無駄足か)

一縷の望みをかけてもう一度呼びかけようとしたその瞬間、突然何かが視界を横切った。

(な、なに、今のは)

ぴゅう、と甲高い笛が聞こえて、反射的にそちらを向く。すると今度は背後からまたあの何かが通った音がした。
バサバサ、と独特の音をたてて、笛の音の方へ向かったのは見た事もない大きな鳥で、その鳥が向かう先には目的の人物が居た。

(起きておられた……みたいですね)

にこりと笑って会釈する相手に、私は少し複雑な思いを抱きながら歩を進めた。

※※※※※※※※※※

「お久しぶりですな、司徒殿」

この老爺に何か聞きたい事でも、と顔を綻ばせる男は、老爺と言うには若すぎる荘年の美丈夫だった。
天文官という名の元、一応国の官吏に名を連ねているが、何の事はない、彼は元司空なのである。
この国の文化に、荘年にして職を譲るという風習がある。
仕事を極めた者がまだまだ盛んな荘年の時期に職を辞するのは効率が悪い。
だが、天下り先から目を光らせる事で、新しく職についた若い者の見定めが出来る。
実際、何代か前の大尉はその者の前の代の大尉に辞めさせられたと聞く。
王からしてその風習を守っているのだから、官吏にそれが馴染むのも当然なのかもしれない。
この先代司空は四十五に差し掛かる程度で職を退いた。
流石に四十代で職を辞すのは珍しかったが、
新しく司空の職を継いだ物の仕事ぶりが問題なかったのでどうやら黙認されたようだ。
あの方が、私の方が年上なのに先を越されてしまったなぁなどと微笑んでいた事を思い出して、突然胸が痛んだ。

(最近の私は、不安定ですね)

そしてその不安定に、どこか安心している気がする。
ふぅ、と溜息をついて天文官の顔を見た。

「夢を、見たんです」
「夢、と」
「はい、酷く嫌な夢なのですが……夢が何かの余兆と言う事もあるのでしょう?
死ぬ前に人が夢枕に立ったと言う話を聞いた事があります」
「有るには有るじゃろうが、わしは天文官にて、夢とは分野違いでは?」
「……博識なあなたなら何か知っていると思ったのですが」

買い被り過ぎじゃろう、と笑った彼は、ぽん、と私の頭に手を置いて茶でも沸かそうかの、と席をたった。
些か古い(それもまた時代遅れと言う意味で)茶道具を持ち出し準備を始めるので、
ぱち、ぱち、と炭が赤く染まる様子をちらりと見た。昔から変わった人だ、と聞いていたけれど、
この時代錯誤な物達に意味はあるのだろうか。
こちらから質問しようとした所で、司徒殿は、と先を越されてしまった。

「真面目じゃの」
「は?」
「今、夢と言われて、わしは最近何か夢を見ただろうかと考えましてな」
「はぁ」
「唯一思い出したのが、ハミ瓜を旨いのばかり連続して食べる夢じゃった」
「……そう、ですか」
「司徒殿の様な意味のありそうな物なんか、何もないんですわ」
「それで天文官が勤まりますか」

わざと大仰な口ぶりで言うので、皮肉で返すと、少し考えた後、またぴゅう、と口笛を拭いて先程の鳥を呼んだ。

「何ですか、その鳥」

頭から首にかけて毛が生えておらず、他の部分は黒い羽がびっしりと生えてていて、大きさは子供程。
翼を広げた姿は人二人は入ろうかと言う大きさで、今まで見た事のある鳥のどれよりも風格のある鳥だった。

「遠い国の、天文台に形取られた鳥らしい」
「そんな鳥が何故ここに」
「取り寄せたのじゃよ、何か手助けになるかと思って」
「あぁ」

それで先程の話に繋がるのか、と合点してもう一度鳥を見た。爪は思った程に鋭くなく、しかし瞳は肉食を思わせる。
だが、そこに崇められる程の天体的真理を見出だす事は出来なかった。

「結局の所、人の心が馴染めばそれで良いのじゃよ」
「何の話です?」
「おそらく、この鳥を天文台として形取った国では、この鳥の姿が神々しさを持つ様に見えて居るのじゃろう。
空を翔ける姿か、獲物を捕らえる姿か、そこまでは分からんが」

ところで、司徒殿はこの鳥を見てどう思った、と聞かれたので素直に思った事を答えると、彼は嬉しそうに笑って唸いた。

「わしは、夢も同じだと思う。
悪夢は不吉の象徴と言うが、それは、そう信じる者が声高に叫んだものが伝わったに過ぎぬのじゃろう。
本質は、そなたが先程この鳥に抱いたものと、大して変わらぬのではないかな。夢はただの夢じゃよ」

つまり、天体の動きに意味を付けて、人々に固定の雰囲気を押し付けるのがわしの仕事の一部なのじゃな、
と余りに身も蓋も無い言い方をするので思わず笑ってしまった。
(夢はただの夢、か)
私が繰り返しあの夢を見るのは、私自身が勝手に夢に意味をつけて何かを信じていたからに過ぎないのだろうか。
一抹の不安が消えない訳ではないが、それでも確かに心が軽くなった気がした。

「ありがとう、ございます」
「おや、もう行くのかね」
「はい、私には

「爺様、起きてるか!?」

ガンガン、と扉を叩く音と共に低い声が響く。家主を見ると、きょとんとしていたが直ぐに扉の元へ向かった。
どうやら知り合いではあるらしい。こんな夜更けに不躾な、と自分の事は棚にあげてそう思った。

「起きとるが、何事じゃ」
「それが、聞いてくれよ」

開かれた扉の外に立っていた男はまだ若い兵士の様で、女性も羨むような天文官の容姿とは似ても似つかない、
どちらかと言えば凛々しい青年だった。

「今家に、訳あって行商が押しかけて来てるんだけど、それがめちゃめちゃな奴で。
お礼だとか言って押し付けられたハミ瓜の数が多くて食べ切れないんだ」
「で、わしにか」
「頼む、爺様食べて下さい!」

袋一杯に詰まったハミ瓜を青年が天文官に差し出すのを見て、私は思わず笑ってしまった。
私の存在に気付いた青年が天文官に何かを尋ねていたが、天文官は渋い顔であしらっていたから、
正夢になると良いですね、と茶化してまた笑った。
その後三人でハミ瓜を食べたが、天文官が一口食べた瞬間、まずい、と小さな声で言って、今度は三人で笑った。

夢は、やはり夢のようだ。


※※※※※※※※※※

ハミ瓜(ハミグア)は、本当にシルクロードで売ってるメロンみたいなものらしいです。
当たり外れが大きい果物なんだって。
あ、後、鳥はコンドルで遠い国はインカ帝国のつもりですが、
微妙に時代がズレてる上にコンドルなんか砂漠で飼えないよ!って思ったので名前出しませんでした。
そもそも輸入とか出来ないだろう、コンドル。

ああ何かこの話消化不良を起こしてる、本当はもっと色々詰め込みたかったのに!精進します……orz



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