「付き合え」

急な用事だとわざわざ訪ねにきた友が、心底嫌そうな顔をして、戸口にたっていた。


[心にあいた穴]
六十五年


「何事かと思えば」
「ええい、つべこべ言うな!どうせ暇だろう貴様は」
「まぁ、暇だが」

仕事が終われば暇になる。それは当たり前の事で、つまるところ寝る時間なのである。
見れば分かるが我は今寝巻きの状態で、更に結い上げた髪を落ろし、外へ出る格好ではなくなっている。

「我はもう休みたいのだが?貴様と呑むと、確実に遅うなる」

それに、と加えて、髪を引っ張ってみせる。だらし無く波うち胸元まで垂れた髪は結うのに時間がかかり、
そして司空は髪を結い終わるまで待っていてくれる気など微塵もなさそうだった。

「諦めて他をあたるが良い」
「待て」

ぎろり、と灰色の瞳に睨まれる。
やけに機嫌の悪い、と思うも、大方慣れてしまっているので今更何の感情もわかない。
そう、決まっているのだ、この男がわざわざ来る理由など。

「私だって、始めから貴様を呼んだわけじゃあない」

目をつぶって溜息をつく。
この国の文官どもは、何故我に厄介払いを任せるのか。

「部下が断るのだよ、皆が皆!」

それは貴様の酒が煩いからよ。

「私はだな」
「分かった」

放っておけば人の家の前で永遠と、しかも声量を徐々に上げながら喚き続けそうな友人を止め、
渋々ながら彼の誘いに乗る事にした。我に他の選択肢があるとでも?


※※※※※※※※※※※

司空と言う奴は、まさしく面倒見が良い人間である。
部下への気配りは目を見張るものがあり、使える人材を見つける目も鋭い。その点ではそこそこの尊敬も出来よう。
だが、奴が部下に好かれているのかと言えば一概にそうとも言えず
……いや、好かれてはいようが、それ以上に煙たがられている。
面倒見が良過ぎてただのお節介になっている、というのが理由であり、
かくして奴は、信頼と尊敬を受けある程度は好かれつつも嫌われる、という不思議な存在になっていた。

「私もたまには人に愚痴を言いたくもなる」
「それに部下を選ぶのもおかしな話だと思うが」

馴染みになってしまった店で、ゆったりと酒杯を傾ける。店の主人も、またかといった顔で我等を見て苦笑していた。

「友と呼べるような者は、皆この国の要所の執政を任せている。呼べるわけがないだろう」
「……少ないのだな」
「煩い!量より質だ。それに貴様の方が少ないだろう、友は」
「はは、それこそ量より質であろう?」

ちらりと傾けた杯を見ると、空になっている事に気付く。
一度杯を置いて酒を取ろうとすると、一足早く奪われ、並々と注がれた。
思う所あって司空の顔を見るが、苦々しそうに我を睨んで自分の杯を空にした。
それから何かを喋ろうと口を開きかけた。

「それで、本題はどうした」
「……貴様はいつも私の調子を乱そうとするな」

きっかけをわざと削がれた司空は、また機嫌が悪そうに我を睨んだ。
絶対引っ掛かる、と分かっている罠があるならそれを使わぬ手はない。我が正攻法しか知らぬ愚かな武人でない限り尚更だ。
あまり簡単に引っ掛かると飽きも来ようが、少なくとも今までその飽きは来ていない。
迷惑を被られたのだから、少し位からかわないと割にあわん、と言う事だ。

「黙って聞いていれば良い。私は動く武具に話しかけているような感覚で良いのだ」
「武具は返事をせぬぞ?」

にやり、と笑いながら言うと、ぎりぎりと歯を食いしばった司空が腹立たしさを隠さず詰め寄ってくる。
その右手にある杯に今度は我から注げば、ちらりとそちらを見て距離を戻した。

「貴様聞く気があるのか!」
「あるからわざわざついて来てやったのだろうて」

高く適当に結った髪を揺らして、困ったような顔をしながら肩を竦めれば、司空は漸く落ち着きを取り戻して酒をあおった。
(ほんに、わかりやすい奴よ)

「最近、どうも情勢がよろしくない方へ進んでいるような気がする」

急に声色を低く落ち着いたものに変え、司空が眉をひそめる。

「我は、朧げな例えは好まん。簡潔に述べよ」
「そうだな。……私が言うのは変かもしれないが、いや、私達だからこそ今度こそ言うべきなのかもしれない……」
「曖昧な」
「そうだ、曖昧だから貴様に話を……いや、何でもない」

再び真剣な顔で黙った司空を見て、今度の話は愚痴ではなく相談のようなものだと理解した。
そういえば、司空にしてみれば屋敷へ来るのが早かった。おそらく、部下の所など寄っていないのだろう。
今宵は酒は、あまり旨くはならなそうだ。

「責任を分ける事は、軽くなるから好きではないが、今度ばかりは背負っても良いと思うんだ。あの方の死の、責任を」

一度言葉を切り、司空はまた言うべき事を探して口を閉ざした。
やはりな、と言うのが我の率直な意見である。
司徒の謀反は、彼が清廉な人であったと有名なだけに、多くの人へ深い影響を残した。
『謀反』という分かりやすい反逆の証を残したと言うのに、未だひっそりと彼を慕う者が多い事からも、
彼の人と為りが想像出来よう。司空も、そんな一人のようだ。

「貴様がやりたい事が、さっぱり掴めん。事の子細が知りたくば、王に聞くが良い。
彼の後を追いたいのならすれば良いであろう」
「出来るか、そんな無責任な事!」
「また責任、と言うたな。貴様の言う“責任”の意味が我には分からん」
「責任とは……、あの方が謀反を起こした原因は私達にもあるのではないかと言うことだ」
「何故」

我の言葉に、司空は絶句する。
どうやら言葉の選択を誤った様だが、我にはこの手の事は苦手なのだ。
過去を悔やむ……聞こえは良いかもしれぬ。
だが、悔やんで何か変わると言うのか。
過去の経験を反省し、先へ進みたいのなら、そこに感情は必要ない。
あるべきは、事実を淡々と見詰め覚えておく頭のみだ。

「あの方が僅かにおかしくなった事は、私達だって気付いたじゃないか!その時話を聞いていれば」
「何も変わらん」
「何?」
「最も近くに居た者が止められなかったのだぞ?我等がどうこう出来た筈もあるまい。
貴様は、自分と言う人間を過信し過ぎよ」
「それでも、何か変わったかもしれない!」

酒のせいで赤らんだ顔に涙をため、掠れた声で叫ぶ司空を見て、少し溜息をついた。
(それは貴様の希望にすぎん)
お節介のくせに、こやつはまるで子供のようだ。
捻くれて、捻くれて、自分の気持ちを後ろにしまい込んで、まるでその出し方を忘れている。

「もしも、の仮定を我は好まん。謀反を起こして死んだ男が一人居た、と言う事実が一つあるだけだ。
過去を引きずり出して悔やんでも、そこには何もありはせん」
「では、あの方の思いは何処へ向かえば良いんだ!」

それは謀反の内容か、昔からの彼の姿か。
分かりきった事を考えながら、今にも泣きそうになった司空を、またいつものお節介だと呆れ、
そしてほんの少しだけ羨ましく思った。
(どこまでも不思議な男だな)

「今の司徒を、信じてやる。それで良いのではないか?」
「……っ」

分かっている、それが司空の求めた言葉ではない事は。
泣きそうな顔を更に歪めて睨む司空に、また溜息をつきながら、小さな声で言ってやる。

寂しいのだろう?

地位と年齢と見栄が邪魔をして、自ら言うのは憚られる言葉、というやつかもしれぬ。
この国の中心で育った司空は、彼を幼い頃から慕っていたのだろう。
幼い頃の大人の印象というのは絶対的信頼を含んでいるもので、
自分が大人になっても気付かぬうちにどこかその感情を引きずっているのかもしれない。
だから、小難しい言葉で理由をつけようとしても、本当の所は単純に(そう単純に)その消失が、寂しかったのだろう。

(それなら、我にも分かる)

今は亡き我の家族を思いながら目をやると、
意地っ張りでお節介の塊の男は、違う、と言いながら、やっと涙を流していた。



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片腕しかない大尉に自然と気をきかせて酒を注ぐ司空
↓
何か腹立つ大尉
↓
自分が自然に気をきかせてしまった事に気付く司空
↓
自分だって酒くらい注げるもん!って仕返しする大尉

って流れです。酒の奪いあいは。
大人げない喧嘩だなこれ。



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