些細な変化は、時に大きな流れをつくるのかもしれない。
誰にも気付かれず、そもそも他人からして見ればどうでも良いとしか思われない、流れを。


[私の瞳に映る姿]


がやがやと煩い店の中を、さながら荷物を掻き分けるように進む。
店には店に入りきる人数と言うものがあるが、
この店はその人数とやらを一切把握していないのではないかと思う位だ。
始めて見る安い酒場に目を白黒させながらまごついていると、前を行く背中はするすると先へ進んで行ってしまう。

(私よりがたいが良いくせに、何故だ)

やっとの事で店の奥に見つけた空席に腰を下ろすと、それだけでもう帰りたい気分になった。

「疲れた……」
「何にだ」
「店だ。何だこの店は」
「我には物凄く一般的な飲み屋にしか見えぬが。貴様には合わなかったか?」

はぁ、と溜め息をついて酒に手をつける。味も、普段と比べればいまいちの様に感じた。

(まったく、病気などさっさと治してくれ)

いつもの酒場の店主の病気のせいで店が休みであり、仕方なく近場にある酒場を探したのだ。
考えてみればどちらかの家で飲むのでも良かったのだな、と今更ながらに自分達の発想の貧困さに頭を抱えた。

「普段の店は規模が小さいからな。普通の規模の店になればこれ位の騒音、当たり前であろうに。
これだから貴族様は困る」
「私はぎりぎり平民出だ。貴様こそ貴族出だろうが」

は、と間抜けな顔をして大尉が固まる。
私はそれ程おかしな事を言っただろうか。
大尉の身の上を、私は詳しく知っているわけではないが、何だかんだで大尉の所作は明らかに上流家庭のそれだ。
その様を隠す様子もなかったので、私はてっきりどこぞの貴族様の末子か何かなのだと思っていた。
その事をそのまま告げれば、大尉は左手で髪をかきあげながら笑った。

「ほんに貴様は人を良く見ている」
「褒めているのかけなしているのか微妙だな」
「まさしく、どちらもよ。因みに末子というのは何処から予想した」
「流石に有名貴族の長子なら平民でも知っている。それに末子なら養子になって大方姓が変わっているしな」
「成る程」

理論立っていて理解しやすい、と頷く大尉の顔は、それでもまだにやりとして釈然としない。
外したか、と思った所で後ろの客がいきなり大声で喚き出した。

(これだから、こういう場所は嫌なんだ)

無駄に大声で話す内容は、酷く下世話なもの。
大柄な男が飲んでいた相手に対して、自分の方が女を悦ばせられるだとか、
今までに旦那がいる女を何人食っただとか、嫌がる女を何人で回しただとか、胸糞悪くなる内容をぶちまければ、
相手も自分の性歴をまるで武勇伝のように語る。
相手は末端の兵士だったのだろうか、兵士内でのそんな話もちらほらと聞こえてきた。
そんな話は、娼館の女達にすれば良いのだ。
望んでではなくとも、娼婦達はそれを仕事として受け止めてくれるだろう。
だが、公共の場たる酒場で何故こんな話をしなければならない。
誰もが聞いて楽しい話だとでも、思っているのだろうか。
そもそも、と頭の中で苛立ちが込み上がってくる。
今にも立ち上がらんとした私を止めたのは、真剣な顔をした大尉だった。

「やめよ。関わってやる必要もなかろう」
「……貴様は胸糞悪くならないのか」
「あれくらい気にするな。貴様は潔癖が過ぎる」

良い所育ちが、と言われているようで、思わず私の腕を掴んでいた大尉を振り払った。
確かに私は平民にしては良い家の出で、別段生活に困る事もなく裕福に今までを生きてこられた。
だからって、……まて。

「貴様、貴族育ちなのに何故ああいう話に慣れている」
「下世話な話は貴族平民関係ないぞ」
「……兵士とは皆、そんなものなのか!?」
「ややこしいな貴様」
「はぐらかすな。兵士とは皆、女人を平気で搾取するものなのかと聞いているんだ」
「そんなわけがなかろう。それでは国は立ち行かぬ」
「ならば何故止めた。明らかに犯罪だぞあの男の話した内容は!」

はぁ、と大尉が今まで見た事のないような顔付きで溜め息をついた。
まるで私と大尉の間に見えない壁が出来たようで、無性に……そう、何故か無性に不安感に襲われた。
今まで知っていた筈の大尉が、実は演技であったような、そんな違和感。

「とにかく落ち着くが良い。あやつの言っていた事はどうせ嘘だ。
ああやって無意味な虚勢を張る事位しか、出来んのだよ。それに、被害を受ける物が必ずしも潔白だとは限らない」
「潔白でなければ、性的被害を受けるのも仕方ないと言いたいのか」
「違う。だが、それで成り立つものもあるのだと言っている。貴様は上層で生きてきた故、知らぬだろうが。
要するにだ、見るなと我は言っている」
「貴様は、知っているのか?それで成り立つ物とは何だ」
「行き所のない、鬱憤へのはけ口。奪われたものへ怒り。それも、戦の止まぬ世界には必要なのだろう。
間違っていると声高に言った所で、我らには何も出来ぬ。
貴様はそういった割り切りが出来ないだろうて、我は見るな、聞くな、と言うておるのだ」
「じゃあ一つだけ聞く。貴様は何故、それを訳知り顔で語るんだ」

はぁ、とまた大尉が同じ溜め息をついた。
一瞬嫌な予感が体を過ぎったが、そう思った時には大尉は口を開いてしまっていた。

「我の昔話を聞かせてやろう」


※※※※※※※※※※※※※※


幼い頃、我は島国の皇太子だった。
帝国より東にある小さな島国、文明は帝国より劣るが独特の文化のある豊かな国の王家に生まれた嫡男、
それが我の始めての肩書だった。
長い戦の時代を経て訪れた平和な時代に生まれ育ったが、
次第に高まる国内の不平不満の対象として、父は国外への進出を決めた。
共通の目的のために国内は団結したかのように見えたが、その実は個々の欲望に塗れた薄気味悪い軍だったらしい。
勿論当時は何も分からず父の言葉を信じて、国を脅かす者を退治しに行く……としか思っていなかった。
ましてや、そのせいで国が滅びるだなんて。
敵地に乗り込み劣勢と見るなり、味方だった筈の軍が次々に裏切り、島国への侵攻の手引きをする始末。
訳が分からぬうちに父は殺され、母は自害し、我は帝国軍に捕らえられていた。


次に目を覚ました時、我は檻の中に居た。
側に居た男達は見知らぬ格好をしていたし、肌で感じる温度がその時期にしてはやけに冷たかったから、
知らない場所に連れてこられたんだなとは分かったが……やはりまだ何も把握していなかったな、あの時は。
とにかく寒くて、不安で、何をしたら良いのかわからなくて。
服も上に着ていた筈の豪奢な織物など剥ぎ取られて肌着一枚であったし、よく凍死しなかったと思う。
今考えてみれば分かるが、要するに我は帝国の見世物小屋に売られたのだろう。
連日我が出てくる度に、石やら刃物やら硝子の破片が飛んで来て、次第に人も増えたように思う。
見世物小屋の稼ぎ頭だったのだろうな。
その割に食事は酷かったが。


※※※※※※※※


「ちょ、ちょっと待て」
「ん?何だ」
「理解が追い付かない」

皇太子だと?それは何の話だ。
余りに突拍子もない話を真面目な顔で語る大尉に、いっそ笑いが込み上げそうになる。
冗談も大概にしろと言いたいが、大尉のけろりとした表情がむしろ話の内容が事実である事を述べていた。

(大尉が子供の頃の経験が、これなのか)

思わずじっと見つめれば、言いたい事があるなら言えと、大尉は促すように顎を揺らした。

「それはいくつの話だ」
「七つかそこらだ。因みに貴族の所作とやらはそこまで見についたのだろう」
「そこはどうでも良い!貴様の生い立ちはとりあえず置いておくとして、
何故七つの子供に刃物やら石やらを投げつける見世物小屋が流行るんだ」
「それは……」


※※※※※※※※


それは、我が敵国の指揮官の子供だからよ。いくら敗戦とは言え、港町では我の国の軍は大勢の人を殺めた。
その恨みは、父がいないならその子たる我に向かうのは当然の話だ。
おそらく見世物小屋の主もそのような歌い文句で客を集めたのだろう。
今となっては、そういう商売をせねば生きてゆけぬ者も確かにいて、
そして民衆も不毛だと分かっても当たらずにいられないのは、理解できる。
我だっていきなり状況の変化が訪れなければ、突然失った家族への悲しみで何かに当たらずにいられた自信はない。
当時はとにかく、飛んでくる危険な物をいかに避けるかしか考えていなかったが。
しかし避け過ぎると後で檻の監視をしていた男に暴行を加えられたな。
要するに、死なないまでも痛めつけられろという事なのだと理解してからは、
石は避けずに刃物と硝子は避けていた。
考えれば視力と反射の良さはここで身につけたのかもしれん。毎日そればかりだったから。

ある時から、夜は目隠しと枷をつけられたまま移動させられる事が増えた。
場所は様々だったが、一様に高そうな装飾が施された部屋だったように思う。
そこで……まぁ、分かるか。
これ以上酒がまずくなる前にやめるか?


※※※※※※※※※


「……」
「だから関わるなと言ったんだ。貴様には受け入れられまい」

すまん、嫌な話を聞かせた。今日は帰るか、と差し出された手を、私は思わず払ってしまった。
面倒くさそうにいつもの溜め息をつく大尉に、私は何故か距離感を感じていた。
軽蔑、とかそういった感情ではないのは分かるのだが、
余りにも私の常識を外れた世界を生きたらしい男が居る事に、まだ納得が出来ていない。
大尉、だぞ?
今目の前に居て、口の割に付き合いの良い、私の友と思っていた男。
それが帝国を挟んだ反対側の国の王子だった……いや、違う。そこではない。
では何が私の胸につっかえたようにもやもやと気分を悪くさせているのだろう。
感情だろうか、それとも思考だろうか、
もしくはどちらともない経験した事のない何かが私の中に飽和しているような。

「なぁ、大尉」
「何だ」
「何でそんな話、私にしたんだ」
「だから、世の中には知らないままでいた方が良い事もあるという事を」
「そうか?」

はた、と大尉の行動が止まる。
無くした右腕に添えて、何かを探すように眉をひそめる。
十分に時間を置いて、まるで理解出来ないとばかりに、それ以外にどんな理由がある、と言った。
気にするな、今となっては過去の話よ、と明るく言う姿はいつもの大尉だったが、
私の目はやはりその姿を違和感を持ってとらえているように思えた。



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はい、BLっぽさを入れてみようかなという試みです。



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