向けられた切っ先を、振り払わない覚悟がおありですか?
鈍色に輝くそれは、きっとあなたの心の証。



【明日を生きる、今日に生きる】



「今年は実りが早いな」

小柄な主君が、この国には珍しい色の髪を風に遊ばせながら目を細めて笑った。
眼前に広がる田は黄金色に色付き始めている。稲穂が頭を垂れるまで、そう長くはかからないだろう。
秋も末に入る、八月の終わり。空は高く、流れる雲も穏やかだ。

「そうですなぁ」

一際大きく吹いた風が左近の髪をさらって、三成がくすりと笑った。

「呆けた声を出すからだ。……よし、そろそろ帰るぞ」

急に声色を正し、鞁を引く。馬のいななきを聞きながら、左近は気持ちを入れ替えた。
今年に限って、実りは早い方が良い。
今の佐和山は、穏やかだ。実り豊かで、領主が無茶な年貢を強要する事もない。
だが視点を広くとれば、今の佐和山は酷く不安定な場所であった。
徳川家康と石田三成の対立。
対立という言葉が許されぬ程、格の違う二大名である。
だが左近の主君、――そう、それが主君であるのだ――三成は臆する事なく『対立』していた。
家康側にも、本人を視点とした整合性はあるのだろう。
三成が台頭する十何年も前から戦国の世を渡ってきた理由は、領土を保ちたいと言うだけではない。
時には引き、堪え、忍び、それでも自分の天下を夢見て進む考えは、この世の中にありふれたものなのだろう。

(俺はもう、沢山だと思うがね)

人一人の権力は膨大にして儚い。
得た力が次に譲渡される事は少なく、騙しあい、戦い、誰かが奪い去る。
その繰り返しは拭い取れない汚れの様に濃さを増すが、誰一人としてその連鎖は断ち切れなかった。
そんな中、三成と言う人間が浮いて見えるのは、ただ正論を通しているからだろう。
正論とは、大方の人間が耳に痛い。
太閤の喪があけぬうちに、茶会を開く。
多かれ少なかれ太閤には世話になっているのだから、三成が茶会を開いた者に文句を言うのは確かに正論だ。
しかし、普通の大名達は我が身が惜しい。己が得た権力を手放したくはない。
つまり、正論に従って最大勢力の家康に睨まれる事を恐れる。だから、正論を通す三成は疎まれる。
結局は、各々に自分なりの筋があるのだ。
その筋の接合剤が自己の利なのか、道理の和なのか、二択に絞られるのだろう。
そしてこの戦国という波乱の時代、利が主流になるのは当然だ。
だが、左近は和を通そうとするのは甘く浅はかな考えだと、一笑に付したくはなかった。

(俺は殿に賭けてみたい)

こんな時代だからこそ、和を貫く。その尊さの価値を世の中に見せてやる努力を、左近は惜しまないつもりだ。



※※※※※※※※※※※

「お待たせしました」

暑い季節だと言うのに必要以上の厚着をした客人の待つ部屋へ、左近は声をかけた。

「私も先程ついたばかりです」

少し掠れた、しかし美しい声色。
穏やかな性格に違わぬ落ち着いた物腰。
客人の名は、大谷吉継といった。
かの太閤をして、百万の兵を託してみたいと言われた程の傑物。
しかし、不治の皮膚病を患い、余命いくばくも無いと言われている。

「それで、私に御用とは?」

吉継の反対側に座った左近は、吉継の向いた方向が、僅かに自分の居る方向と違っている事に気付いた。
包帯の巻かれた掌に目をやり、思いきって目線を合わせると、開かれた瞳は白く濁ってどこか虚空を見ていた。
ごくり、と喉がなった。

「……島殿?」

眉を潜められて、左近はやっと己の無礼に気がついた。

「すみません。少し……」
「私の目、ですか?もう何も見えないので、不快にさせたら申し訳ありません」

吉継があまりに淡々と言うもので、左近は返答に戸惑う。その逡巡を覚ったかのように、吉継が言葉を続けた。

「いずれこうなるのは分かっておりましたから、私自身に動揺はあまりないのですが」
「光のない世界に、動揺がないんです?」

口布の下で、吉継がくすりと笑った。

「向けられた切っ先を、振り払わない覚悟がおありですか?」

雲が太陽を隠し、部屋が俄かに暗くなる。
刹那の暗闇の中、白い包帯に覆われた吉継の姿は、左近には少し不気味にうつった。

「私には、それがあります。刀を握ったのが三成なら、私は振り払わずそこに居る。
三成が私を刺すわけがないから。そう、信じられる心が私の確信であり、光です」
「殿が光、ですか」
「光のない世界に、私は住むつもりはありません……それを確認しにいらしたのですか?」

吉継の言葉尻が、茶化す様に高くなる。
おそらく今、口元は笑っているのだろう。しばらくのお遊び、いや、牽制のしあいに左近は乗る事にした。

「いえいえ、まさか。俺も殿が刀を握るのなら振り払う所か飛び込んでいきますよ」
「三成はあれで刀の扱いが得手ではないので、運悪く刺さってしまうかもしれませんよ」
「それは困りますな」
「では、島殿なら如何致します?」
「そうですね、俺なら、あなたに刀を持って貰って、隣で殿に見ててもらいますか」
「それで私が刺さない保証がありますか?」
「あなたは刺しませんよ」

くすり、と吉継が笑い、つられて左近も小さく笑った。互いに困った顔をしながら、少し不器用に。
そして吉継が悲しそうに溜息をついて口を開いた。

「問題は、私の命が一つしかないと言う事ですね」
「残された道は、疑わしきは罰する……ですかね」

二人してまた、溜息をつく。
今度は重く、深く。そしてしばらく沈黙が続いた。
いつの間にか軽口から本題へ話がうつっていた。欲しいのは、徳川方へ裏切りそうな者の情報。
三成は、自分が真っ直ぐなせいか、人を信じやすい傾向にある。
おそらく水面下にある相手のどす黒い妬みや恨みを、予想出来ないのだろう。
それが美徳でもあり、戦下手と言われる所以の一つで厄介な所でもある。ここまで大掛かりな戦の準備となると、
根回しを万全にするのは、左近や吉継の手には余るのが正直な所だった。
沈んだ空気に口火を切ったのは、吉継の方だった。

「今日、島殿にお目にかかれて、私は良かったと思います。これで決心がつきました。
私は、金吾殿の布陣する山の麓に布陣出来るよう、三成に頼むことにします」
「……それは」
「杞憂に終わる事を、望みはします。ですが、期待はしません。この命で、私の光に迫る闇を防ぐつもり……いえ、防ぎます」

吉継が、目を細めて微笑んだ。
太陽の光を映さないその瞳に、確かに光が刺したように左近には見えた。

「では、俺は……いや、俺も、……」
「俺は、の方でお願い出来ませんか?これから先、三成にあなたは必要なのです。悔しい事に、おそらく私以上に」
「……俺は、殿が目指すそのはてを阻む者を、取り除くとしましょう」

約束、違えないで下さい、そういった吉継の声は、少し震えていた。

しばらく後、部屋の外から三成が二人を呼ぶ声が聞こえた。
立ち上がり襖を開けて外を見ると、外はいつの間にか曇天になっていた。
部屋を出て廊下を歩くうちにそれは雨天へと変わり、斜めに降る生温い雨水が左近の頬へ触れた。
振り払うようにその水を拭いながら、ただひたすらに今は見えなくなった太陽を睨んだ。



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軽口合戦は、三成は渡さんぞ!って言う口喧嘩です。途中で馬鹿らしくなって笑ってるんです。
まぁ左近の発言は果たされる事なく死ぬわけですが、何となく二人は察してて尚こういう会話をしそうなイメージです。





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