「おかえりなさい、若」 微笑む蛍を見て胸が痛くなる。 でも決めた事だ、仕方無い。 もう俺は若じゃなくなるんだ。 「なぁ…蛍」 「何ですか?あ、夕食なら用意しときましたよ」 もちろん酒も、と言って酒瓶を振った。 やめてくれ、言い出しにくくなる…。 「蛍、ちょっと聞いてくれ」 「はい?」 外から帰った俺への気遣いからか、暖を取ろうと薪を掴んだまま振り替える。 「…俺、もう、やめる事にした」 「何を…ですか?」 気まずい沈黙。 雰囲気で悟ったみたいだ。 「戦う事を。」 「若っ!」 がたん。 床を蹴って俺の前に蛍が立つ。 背にしてみれば俺より遥かに低くて華奢な体付きなくせに、こいつは揺るがない。 羨ましいくらいに。 「若が戦う事をやめたら雑賀衆の残りはどうなるのですか!? 路頭に迷えと、盗賊になれとでもおっしゃるのですか!?」 「…そんな事は思ってないさ。頭は蛍、お前さんに譲る。お前さんなら皆も納得するだろうから」 からん、からん。 蛍の腕から薪が落ちた。 「何を…何を言って…」 「決めた事だ、俺はもう変えないぜ」 そう言って去ろうとする俺に蛍がつかみ掛かってきた。 「それで逃げて、死んで、秀吉さんに顔向けできますか!? 秀吉さんの志から逃げて、若はそれで満足ですか!?」 そんな若なら軽蔑します。 「志…な。違ったんだよ、あいつらは、三成達は秀吉の創った世を失敗作だと言いやがった。 志なんて最初から違っていたんだ」 「だから、やめるって言ったんですか」 頷いて蛍から離れる。 もう、いいだろ? 「若は、逃げてるだけですよ」 「え…?」 蛍まで三成と同じ事を言う。 俺がいつ逃げた。 逃げたくなる自分を叱咤して今まで必死に雑賀衆を率いて来たじゃないか。 頼りないとは言われるかもしれないが、逃げてなんか、ない。 「俺は秀吉の創った世を取り戻そうとしてる。いつ逃げたって言うんだ」 「現に、今。 そして、それですよ。秀吉さんの世って…秀吉さんは亡くなったんです」 「死んだ者の志を継ぐのが悪いのかよ」 皆そうやって秀吉を侮辱していく。 俺の唯一の友をよってたかって。 「若、目を背けないで。 志を継ぐのが悪いだなんて言ってません。むしろ素張らしい。 でも、若のは継いだとは言えません。継いだ継いだと言って囚われて、逃げてるだけです。」 「どこが… 「継いだと言うなら、何故“皆が笑って暮らせる世”を 若の志、とおっしゃらないのですか? 」 「…俺、の?」 なんだ、それ。 「過去に戻るのって、不可能でしょう? それと同じで秀吉さんの世を取り戻すのは不可能ですよ。 それを若の志として未来を創るなら別ですが」 若はそれをしようとしなかったから。 過去に行こうとして砕けていたから。 「……」 また、沈黙が続く。 俺からは切り出せない。だって何を言ったら良いか分からないから。 蛍が口火を切るまで、動けない。 「若、」 蛍の声はくすぐったいくらいに穏やかで 「雑賀衆を復興させましょう」 強く俺を包んでくれた。 「乱世を終わらせましょう。 …若の夢を、実現させましょう?」 若にはもう、平和な世は見えてるはずです。 「そうしたら、ここにいる人、皆仲間です。 細かい志は抜きにして、乱世を終わらせる事を考えましょうよ」 若はいつも思い詰める。 そんなに深く考えられる頭がないのだからもっと気楽に考えれば言いのに、と冷やかすものだから、 「馬鹿にするなよ」 と一蹴して火の側に座った。 蛍はそんな俺を見て微笑んでから薪を拾ってくべた。 二人とも何も言わなかったけれど、暖かな空気が全てを述べていた。 秀吉、さよならだ。 俺はもう、お前を極力思い出さない事にする。 俺は前に進む事にするよ。 俺自身の時を生きる事に。 でも。 たまにはお前と過ごした日々を懐かしんで空を見上げても良いかな? それは勿論、動かない写真みたいな物だけど、俺にとってはきっと大きな支えになる気がするから。 ―次へ― ―戻る―