「この杭瀬川、なんとしてでも総員、生きて帰れ!」


三成の声が響き渡る。
よく通る声だ。


「若、頑張って下さいよ」


雑賀衆の力、示さんがため。


「俺の腕は、一騎当千だからな」
「本当に千倒したら、蛍が真っ先に祝いに行きますよ」
「楽しみにしてる」


二人で笑いあう。
戦の前だと言うのに平和なものだ。


「精々死なない事だな」


後ろからかかる声に振り返れば。
三成。


「はっ、…ぬかせ」
「…昨日とは反応が違うな。戦馬鹿か?まぁ良い、…行くぞ左近」


はいはい、と後ろから馬を二匹連れた左近が歩いてきてたずなを三成に渡す。
わざわざ俺をからかいに来たのか、あいつ。


「行けっ!」


三成の掛け声と共に兵が敵目掛けて走り出す。


「じゃあ若、また会いましょう」
「必ずな」


俺と蛍は今回別の位置からの出陣となる。
俺も周りに遅れをとらないうちに出陣しよう。

戦はそんなに難しいものではなかった。
とにかくこの杭瀬川を生き抜く事が目的なので、
随所に沸く名だたる武将の首を馬の上から討ち抜きつつ順調に先に進んでいた。


「孫市様、もうそろそろ退却地につきますな」
「孫市様の力は百人力です」


口々に歩兵達が褒めてくれるのを“一騎当千と言って欲しかったな”と軽口を叩きながら、
結局あっさりと退却地についてしまった。


「は、お前さんももうついてたのか」
「俺は総大将だからな」


三成は相変わらず澄ました顔で、残りの隊の数を数えている。


「ここは本多忠勝の軍とあたったのか…」


がり、と地図に爪をたてる。
残りは後三隊。
一番遠くにいる隊はどうやら眼中にないらしく、残り二隊について話し合っている。


「おい、一番後ろの隊は無視して良いのかよ」
「五月蠅い。そこはわざと遅れているのだ」
「わざと…?」


何の意味がある。見捨てるのか?


「一番最後から来て、息のある者を助けながら来るように慶次に頼んであるんだ。
お前は五月蠅いからどっか行っててくれ」
「慶次?」


何を話しかけても三成は俺に答える事なく周りの隠密達に指示を出している。


「前田慶次。天下無双の大傾寄者ですよ」


そんな様子を見兼ねたのか、左近が返事をしてくれた。
へぇ、そんな奴、いたっけ。


「分かってない顔ですね。
金の長い髪で…とにかく背の高い男ですよ」


見れば分かります、と言って三成と話し合うために去ってしまった。
ふと、地図に目を落とす。
残った三隊…ここがその慶次とかいう奴の隊で…ここは……


「ちょ、おい三成!」
「五月蠅いと言っただろう」
「救援に行かせてくれ」


やっと顔を向けてくれた。


「雑賀衆の連中がいる隊なんだよその動けない隊が!」


蛍だってそこにいる。


「一人で行って何になる」
「闇討ち、得意だぜ?」


指で地図をなぞる。


「今いるのがここだろ?で、こっちの茂みを通ると…」


誰とも会わず、一人でもそこへ辿りつける。


「…なるほど」
「行って良いか?」


駄目と言っても行くが。


「…俺の指示など聞く気ないだろう。行け。」
「承諾」


雑賀の家紋を背負った上着を翻して走り出す。


雑賀衆はもう誰も死なせはしない。


音の出る草木を踏まない様に、姿を悟られない様に細心の注意を払ってかける。
それ自体は慣れてしまえば難しい事ではない。
だが問題は
間に合うか間に合わないか、だ。
間に合わなければ意味がない。

横目で道を見れば、蛍達が属さない方の隊が退却地へ逃げて行くのが見えた。


“良かった”


蛍達の隊はもうすぐ。
ほら、もう声が聞こえる。

状態は最悪だった。
本多忠勝は戦で怪我をした事がないと言われる豪勇。
それに大した戦力のない一般兵が何人よってたかった所でまったく歯が立たない。


“でも、銃弾には…どうかな”


満を持して火縄を構える。
狙いは首。
頭は鹿の角の様な兜で覆われていて、弾かれるだけに終わるだろう。
だが、鎧と兜の間である首ならどうにか狙える。


“絶対外さねぇ”


かちり。
指を引き金にかける。
照準は完璧。

ばあぁん


「…何!?」


外…した。銃弾は忠勝の頬の肉をそぎ落としてその奥の木に刺さる。
例え外したとしても忠勝からは「退け!」と言う指令が下ったようだから
結果的にはまぁ良かったのだろうが…そうじゃない、今、俺は窮地に陥っている。


「お前さんは…狸の忍者だな」
「主の敵」


服部半蔵。
伊賀だか甲賀だかの頭忍者。


「滅…」


俺の銃剣と奴の鎖鎌で鍔競り合いの状態なわけだが、俺の後ろは崖。
落ちたら退き始めている敵と味方のど真ん中に着地する羽目になる。


「ちぃっ」


半蔵の足を蹴って躓かせ、背丈の差をいかしてそのまま背に剣の部分を刺す。


「ぐぁあっ」


奴の背を蹴り飛ばして崖下へ向かわせる。
そのまま落ちろ。

じゃらん

金属音?


「っつぁ…!」


脇腹に強烈な痛み。
見れば奴の鎖鎌が刺さっている。
くそ、失念してた。


「殺…」


このまま道連れにする気かよ。


「さ、せるかぁっ」


鎖鎌を引き抜いて手頃な木にしがみつく。
痛みで視界が歪むが、なんとか踏み止どめられたようだ。


「はぁっ、はぁっ、っ痛」


かなりの重傷の様だ。
手で押さえても血は一向に止まる気配を見せない。

“自分じゃ動けない…誰か”

先程までたくさんいた兵達は、味方は退却地へ、
敵は忠勝に続いて、各々去ってしまって今や閑散としている。

“やばい…”


「はぁ…っ、はっ」


絶え絶えの息さえ消えてくる。このままじゃ死んでしまう。

不意に馬の音。
まだ兵がいたのか?

思い切って崖から飛び下りる。味方にしろ、敵にしろ、このままあそこにいればいずれ死ぬ運命にある、
それなら博打だ。
飛び下りた先にいた男は一瞬びくりとなったが、血まみれの俺を見て考えだした。


「あんた、どっちの味方だ?」


視界が狭まって金色の髪しか見えない。
誰だ?
…金?長い金の大男…、さっき聞いた。


「前田…慶…次?」
「俺を知ってるのかい?」


じゃあ助けるべきかねぇ、と馬を降りて俺に触る。


「助け…、死ぬには…早すぎるんだ。まだ、…しね…ないっ!」


その後に慶次は何かを言ったのかもしれない。
でももう俺にはふさりと頬に垂れた柔らかな髪の感触以外、何も分からなくなって、意識を手放した。






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